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ガリレイの出身地ピサを訪ねる

ピサといえば、もう斜塔である。

その斜塔とともに有名なのが、ガリレオ・ガリレイのピサの斜塔での「落下の法則」の実験。

ルネサンス末期の物理学者で近代科学の祖ガリレイは、ピサの貴族出身のおちぶれた音楽師で織物商人の家に生まれ、長じてピサ大学で医学を修め、振り子の等時性を発見し、落体の速度が重さに比例するというアリストテレスの学説の誤りを証明するのに、ピサの斜塔から重さの違う弾丸を落とす実験をしたといわれている。

ピサの町は斜塔で余りにも有名なのだが、世界遺産となっているのはその斜塔ではなく、ドウオモ広場である。ドウオモは、中世都市国家であったピサが、1063年、パレルモ沖の海戦でサラセンの艦隊に大勝したのを記念して、50年の歳月をかけて建てられたもので、白大理石の美しいピサ・ロマネスク様式の大聖堂である。

ピサの斜塔は、ドウオモの付属鐘塔として、この町の生まれの建築家ボナンノ・ピサーノの手により1173年に着工されたが、建造の途中から傾き始めた。そして今もなお傾き続けていることで有名である。

ピサは、かつては地中海の大海運国として、ジェノヴァやヴェネツイアとその覇を競ったが、13世紀末には、フィレンツエ大公の支配下におかれ、再びその勢いを取り返すことはなかった。

シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』では、ルーセンショーに扮した召使のトラーニオが、ビアンカの求婚者グレミオとの競争で、財産目録を挙げて競う場面がある。

 

「グレミオさん、だれでも知っていることだが、

私の父は大型船を三隻以上もっていますよ、ほかに

三本マストが二隻、小型が十二隻だ」                  (小田島雄志訳)

 

ルーセンショーの父ヴィンセンショーはピサの商人で、ピサが海運国であったことを思わせる台詞である。

話は変わるが、イタリアは物騒な国である。

添乗員の牧野さんが観光地でバスから降りるたびに注意をしてくれるのだが、幸いこれまで何のトラブルもなかった。が、ここピサの町で、ツアーの仲間が盗難にあった。余りに暑いので、屋台の出店で飲み物を買っているその隙に、バッグの中のカメラを長井さんが盗まれたのだった。

実は、ツアーの仲間の名前を知ったのはここピサが最初である。長井さんは、盗難事故で牧野さんに相談されていて、そのときに名前を知ることになった。また長井さんとペアで旅行している野村さんも一緒で名前を知った。ほかにも、一人旅の渡辺さんと大河原さんの名前を偶然のきっかけで覚えた。

長井さんはカメラを盗まれたので、これまで撮ってきた思い出の写真を失うという気の毒なことになった。それで、長井さんと野村さんのお二人を、斜塔をバックにしてそれを支えているポーズの写真を撮って差し上げた。

31年前ピサを訪問した思い出はこの斜塔しかなく、ドウオモや洗礼堂の記憶が全くないのは自分にとってはショックな驚きであった。その時も季節は同じ8月の後半であった。

イタリアは照りつける太陽が似合う。斜塔の白さがまぶしい。太陽がまぶしい。

そしてイタリアは今日も暑く、最高気温は39度であった。

少しいやな思い出を残して、再びフィレンツエのホテルまで戻る。この日は時間のゆとりもあって、夕食はホテルではなく、市街の中華料理店“CINECINO”で中華料理。ほどほどの味。

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