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「ナポリを見て死ね」(Vedi Napoli e poi muori!)で有名なナポリは、トニー・ペロテットの『ローマ人が歩いた地中海』によると、イタリア北部の人たちはそれをもじって、「ナポリを見たら逃げろ」(Vedi Napoli e scappa)と言うらしい。また、ペロテットは、「遠くから見ていると魅惑的なのに、近寄ってみてこんなにもがっかりする都市は世界の主要都市の中でもほかにはリオ・デ・ジャネイロぐらいしかないだろう」とまで書いている。

添乗員の牧野さんの説明でも、ナポリより南の地方はイタリアのお荷物で、イタリアから切り離したい厄介者の存在らしい。失業率も高く、賃金もイタリア北部に較べて安いということである。ミラノからずっと運転してきたわれらの観光バスの運転手、サルバドーレもナポリ人。彼はこの夏休みの間中フランス、ドイツと運転して、やっとわが故郷に戻って来られたので嬉々としている。観光バスの運転手は長期に渡って家を留守にするので、大半が独身者でマンマと暮らしているケースが多いそうであるが、サルバドーレはめずらしく妻帯者だということである。しかし、妻子は彼を置いてヴァカンスにでかけていて、今、家には誰もいないそうである。

ナポリの歴史は、紀元前6世紀にギリシア人が移住してきて、近くの旧市(パレアポリス)Paleapolisに対して新市(ネアポリス)Neapolisと呼ばれたことに始まる。紀元前4世紀後半からはローマの支配下になり、海港都市として栄え、その風光のためにローマ市民愛好の地となり、詩聖ウエルギリルスは遺言してその海岸に骨を埋めた。1266年南イタリアの王権がアンジュー家のシャルルに帰すると、王の座所となり、1282年シチリアがアラゴン家に奪われるにおよんで、ナポリを首都とするナポリ王国が成立した。

シェイクスピアの『オセロ』には、3幕1場の道化の台詞に、

 

Why, masters, have your instruments been in Naples, that speak i’the nose thus?(3.1.4)

 「やあ、楽師諸君、諸君の楽器は花のナポリで遊んできたようだね。鼻の先がかけたような音を出すじゃないか」         (小田島雄志訳)

 

(註)「Naplesに、1528年初めて梅毒が現れたので、これを一名Neapolitan diseaseという。楽器が鼻にかかるような音を立てるのはNaplesにでも行って病気にかかったためであるか、という」(市川三喜注釈)

 

イタリア南部最大の都市であるナポリは、同時にもっとも問題の多い町でもある(ペロテット)。ナポリの町は、観光バスの団体客はバスを降りての観光が許されていない。すべて車窓からの見学ということになる。

市内を走ると、石畳の道路がガタガタにひずんでいて、快適な走行とはお世辞にもいえない。それにイタリアのほかの都市に較べると薄汚いし、ごみが多い。そして見るからに危険な感じがする。

ナポリ湾を望むヌオーヴォ城は、車窓から見ても圧巻である。ナポリの歴史を物語るかのように、この城は13世紀にはアンジュー家のものであったが、15世紀になってアラゴン家によって再建された。巨大な円筒状の塔が4つ、城壁を囲むようにして堂々とそびえている。

ただ1箇所だけバスを降りたのが、サンタルチア港に浮かぶ12世紀の古城、卵城の写真撮影。ここだけは31年前の訪問と印象が変わらない。絵に描いたような風景である。

31年前に、その名前に魅せられて訪れた「ナポリタン・フラッグ」(窓辺に干されて風にはためく洗濯物)は、今は昔のようであった。

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