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ロミオとジュリエットのヴェローナへ
 

ミラノの見学を終えて、昼食後ヴェローナへと向かう。ミラノから160キロ。約2時間30分の旅程。

ヴァカンスの最中とあって、高速を降りて市内に入っても車が全くと言っていいほどなく、人通りも殆どない。ミラノでもミラノ人(イタリアにはイタリア人はいない、いるのはミラノ人であり、ナポリ人であり、ローマ人なのだ)は市内にはほとんどいなかった。みんなヴァカンスに出かけているのだ。

ポルタ・ヌオヴァ(新門)でガイドをピックアップし、車窓からパリオ門、アンデイジェ川に面して建つカステルヴェッキオ(ヴェローナの領主であったスカリジョレ家の城)、スカリジェロ橋などを眺めて、徒歩にてロミオの家、スカラ家墓、シニョーリア広場、エルベ広場と散策をして、お目当てのジュリエッタの家に到着。

「いずれ劣らぬふたつの名家

花の都のヴェローナに

新たに噴き出すいにしえの遺恨

人々の手を血で汚す」                      ・・・ 『ロミオとジュリエット』プロローグ

ロミオの家も、ジュリエットの家も本物とは言えないかもしれないが、ヴェローナという雰囲気の中で、シェイクスピアが沸々と醗酵してくるような気がする。

『ロミオとジュリエット』は、皇帝派(ギベリン)のカプレーテイ家(キャピュレット家)の娘ジュリエッタと、教皇派(ゲルフ)のモンテッキ家(モンタギュー家)の息子ロミオとの悲恋の話が元になっている。皇帝派と教皇派は、建物の胸壁の上にある突起の形状(なんと呼ばれるのか分からないのだが)で区別される。ゲルフのそれはチューリップの花が開いたようなM型が並んでいる。封建貴族層の多くがギベリンに属したのに対し、新興富裕商工身分のものの多くはゲルフの側に立った。イタリアの都市では、フィレンツエ、ヴェネツイア、ジェノヴァなどがゲルフ系で、これに対しピサは終始ギベリン派であった。

ツタのからまる中庭のバルコニーとジュリエットの像。幸せを願って触られるジュリエットの左の胸は、ピカピカに照り輝いている。

「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」

有名なバルコニー・シーンのバルコニーもジュリエットの像の右上にあって、今様ジュリエットたちが顔をのぞかせて賑わっている。

「名前に何があるの?バラと呼ばれる花を

別の名で呼んでも、甘い香りに変わりはない」

市内中央のブラ広場には、ローマのコロッセオに次ぐ大きさの、紀元1世紀に建てられたアレーナ(円形劇場)があり、そこには2万人の席が用意されていて、毎夏野外オペラが上演され常に予約で一杯だという。そのブラ広場で集合してバスに戻り、その日の宿泊地ヴェネツイアへと向かう。

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