シェイクスピアの森からの報告関場理一
 
東京の片隅(豊島区)で始めた社会人のシェイクスピア作品会読も、今年で23年めになる。
いつの間にか、生涯学習のなかでシェイクスピアを読み、楽しむというテーマがいかに魅力に満ちたものであるかを実感できるようになってきた。気がつけば、パックのいたずらでアテネの森に迷い込みティターニアに魅入られたボトムのように、深い森から出られずにいる。
シェイクスピアを愛好する市民のネットワークづくりをめざして、シェイクスピアの森の発足をアピールしてから8年がたった。森の主宰・森番、そして幾つかのグループのチューターやナヴィゲイターとして多忙充実した毎日を送っている。しかも有り難いことに、森は少しずつ動きだしている。
 

森の基になった小さなグループの誕生

シェイクスピア作品を原文で読むグループが誕生した最初のきっかけは、英字新聞を読む学習会から発展して10年つづいた「英語でベトナムを学ぶ会」という時事英語研究会の打ち上げの年末懇親会だった(1983年)。
中心メンバーの一人から「一生に一度はシェイクスピアを原文で読んでみたい」という希望が出され、その場で最初に読む作品を Macbeth に決めて、翌年(1984年)1月から毎週水曜日の夕方(19:00-21:00)の2時間、池袋駅近くの区民集会室や勤労福祉会館の会議室に数人が集い、シェイクスピア作品を原文で読む勉強会が始まった。
大学で英文学を専攻して少しはシェイクスピアの原文に触れていたことと、自らもより多くの作品をじっくりと読みたかったので、チューターを引き受けた。何作まで読めるのか自信はなかったが、熱心な参加者たちのおかげで20年以上も続き、全作品の読了は不可能ではあろうが、シェイクスピア作品群の秀麗な嶺の主なものには挑戦することができた。

チューターを引き受ける時に大きな支えとなったのは、学生時代に何度か参加した日本シェイクスピア協会主催の夏期や秋期の講習会だった。シェイクスピア協会の講習会で最初に受けた講義は三神 勳先生の Macbeth 講読だった(1961年10月)。講読の後には、中野好夫、中島文雄、小津次郎、加納秀夫、の諸氏らが特別講義をされた。諍々たる講師陣のなかには小田島雄志氏もおられた。会場は青山学院だった。大山敏子教授の Twelfth Night 講読(1962年夏期)にも参加した。大山俊一教授の King Lear 講読(1964年シェイクスピア夏期講習会)も聴講した。その時の3種類のテキストは今も書棚にある。三神勲教授と大山俊一教授は市河三喜注釈(赤い上製表紙で後の研究社詳注シェイクスピア叢書になった)MacbethとKing Lear を、大山敏子教授はご自身が編集されたTwelfth Night (篠崎書林)を使用された。当時は、シェイクスピア生誕400年祭(1964年)という記念の年をめざして、日本シェイクスピア協会が総力をあげて活発な活動を展開していた。学生向けのシェイクスピア講習会は、その一部だったと思う。シェイクスピア生誕400年記念の行事にも参加した。ピーター・ミルワード教授がカトリックの司祭服で講演された姿が鮮やかに残っている。学生時代からシェイクスピアが好きだったが、私が学んだ法政大学では、学内でのシェイクスピア講義は英文学特殊講義などに限られていたので、シェイクスピア協会が主催した講習会は、本格的にシェイクスピア作品に触れる機会としてきわめて貴重であった。

 

第二の人生への決意

1995年にピースボートの地球一周の船旅(1995年6月28日〜10月17日)に国際問題のナヴィゲイターとして招かれた。ハムレットほどではなかったが、113日におよんだ海体験は、私をより強くしてくれた。身体的には、潮風にあたりオゾンを吸って10年は若返った、と思った。帰国してから、それまで25年間ほど続けてきた翻訳・通訳者の仕事をやめて、第二の人生をシェイクスピアを読むことに注ごうと決意した。雑司が谷の森を続けながらも、あちこちに森を広げたいと願った。還暦までの2年間は、身体を鍛えることとシェイクスピアについて学び直すための充電期間だった。この間に東京都立大学(当時)が主催していた都民カレッジのシェイクスピア講座(講師は2回とも本橋哲也氏と末廣 幹氏)に参加することができた。お二人の熱心な講師の解説と分析によって、それまで曖昧だったシェイクスピア作品への現代的なアプローチの視座を据え直していただいた。

同時に、そこで出会った学友と共同して、町田市と立川市でシェイクスピアを原文で読むグループを立ちあげることが可能となった。町田の会は都民カレッジで出会った高橋 大さんが主宰の英語教室のクラスとして私がチューターとなり、月2回(昼の部と夜の部)の例会を持ち、6年続けて、Julius Caesar, The Merchant of Venice, Othello, A Midsummer Night's Dream へと読み進めた。高齢のために退きたいという主宰の希望で、Hamlet の途中から、シェイクスピアを楽しむ会−シェイクスピアの森・町田(代表は新納たも子さん)となって自立して、シェイクスピア作品の原文会読を続けている。

ぜひ Hamlet を読みたいという学友の希望を受け入れて、都立多摩社会教育会館を会場にして、いきなり Hamlet を原文で読むことから始めた小さなグループも多摩シェイクスピアの森となり、主要新聞の地域版やタウン紙などで取りあげていただいたお陰で、予想以上の参加者に支えられながら、毎週土曜日と隔週木曜日の二つのグループで会読例会を続けてきている。土曜グループでは、Hamlet、Twelfth Night, Pericles, Macbeth, Romeo and Juliet, The Merchant of Venice などを読んできた。木曜グループでは、Julius Caesar, Macbeth, Twelfth Night, Richard III などを読み終えて、いまは King Lear を読んでいる。会場確保の点からも、市や区の登録団体になることで有利な条件が与えられる。幹事の方々ご努力での、多摩の森も立川市の社会教育関係の登録団体になった(代表者は長田年子さん)。作品の選定は、四大悲劇に人気が集中することもあるが、参加者が読みたい希望作品を出しあってから候補を絞り込むことにしている。できるだけ別のジャンルから選ぶ、テープは必須だが、ほかにヴィディオなどの視聴覚教材があるかどうかも作品を決める条件にしている。

シェイクスピア劇は聴く芝居であるという基本から、まずその日の箇所をテープで聴くことから始める。つぎに、その場で決めた担当に沿って、日本語で読み下してもらってから、チューターが内容を確認しながら、読み下しの問題点についてコメントし、さらに参加者が意見をだしあって内容の理解を深める。仕上げには、ヴィディオなどの設備があれば、その日の読んだ場面を映像で観る。原文で読めないが翻訳で読みたいという声があがり、松岡和子氏の新訳(ちくま文庫のシェイクスピア全集)で読むグループも生まれた(2000年4月)。いまも月2回(隔週木曜日)の例会を国立市の集会所で持っているが、松岡和子氏の新訳のほとんどを読了して、途中から小田島雄志氏の訳(白水Uブックスのシェイクスピア全集)で歴史劇シリーズに取組み、いまはロマンス劇シリーズの2作目で『ぺリクリーズ』を読んでいる。

 

会読から快読へ

原文で読むと言っても、私が当初から採ってきたのはチューターが読み解き講読するのではなくて、参加者全員が事前に下調べをして読んできたものを持ち寄る会読である。会読は、その日に決めた分担部分を順番に読む回読でもあり、難解な箇所(crux)などや読みにくい長台詞を読み解く解読でもある。時には怪しい読みをしてしまうという意味では怪読でもあり、やがて台詞の深い意味を噛み締めて快読に到ることが理想である。そのすべての意味で、私たちはカイドク・グループである。1回に読む行数は入門段階では65行から多くて70行ほどで、作品に馴染んでくれば80行から100行ほど進むこともある。長く続けるためには、無理をしないことが大切である。翻訳で読むグループでは、ナヴィゲイターが作品と幕ごとの読みどころの大要は提起するが、幕ごとに事前にコメンテイターを決めて、どう読んだかを報告してもらい、疑問点もだしてもらう。翻訳で分かりにくい箇所は、その場で原文で当たってみることにしている。期せずして、テクストの違いや解釈の違いが焙りだされてくることもある。原文で読むグループで使用テキストにも変遷がある。当初はアーデン版とペンギン版を使った。その後に、オクッスフォード版やニュー・ケンブリッジ版でペイパーバック版がでるようになってから、主にニュー・ケンブリッジ版を使うようになった。研究社の詳注シェイクスピア叢書や大修館書店のシェイクスピア叢書など、日本で出版された注釈書の参照は勧めたが、共通のテキストとしてはイギリスで出版されたものから選んできた。アーデン3版が刊行されてからは、努めてアーデン版を併用している。


例会の進めた方などで論議されてきたこと

シェイクスピア劇(作品)を原文読むことと例会の進め方について、雑司が谷の森でこれまでよく論議されてきた問題点や疑問点を思いつくままにまとめると、つぎのようになるであろう。

1、 シェイクスピア劇(作品)を読むための英語力とは?

2、 読むテクスト(本文)は原文か原書か原典か。

3、 めざすのは英語なのか、シェイクスピアなのか。

4、 シェイクスピアの原文を読むことは英語力の涵養に役にたつのか。

5、 予習段階での翻訳や対訳参照の禁止は厳しすぎるので解禁すべきはないか。

6、 進め方は、チューターが独りでやる講読方式か、メンバー参加型の会読方式か。

7、 行数の分担は10行とか順番に割り振るのでなく、役(人物)でわけるべきである。

8、 ヴィディオの利用は有効か、有害か。

9、 幾つもの解釈が可能である場合でも、必ずチューターの解釈を示すべきである。

よく論議されるのは、めざすのは英語なのか、シェイクスピアなのかという共通目標の問題である。どちらにより比重をおくかは参加者の構成によって異なる。英語力はあるが、シェイクスピア作品にはあまり魅力は感じられない。シェイクスピア作品には魅力を感じるが、英語力がまだ十分ではない。グループの構成を考慮しながら、そうしたギャップや矛盾をどのように解決するのか。初期の頃にチューターに課せられた役割の一つは、メンバーの英語力の向上であった。 シェイクスピア劇を原文で読むには、このレベルまでの英語の理解・運用力がなければならない、という基準はあるのだろうか。つまり、英語検定で一級のレベルなら読める、というものではないかも知れない。TOEIC(990点満点)で、600点まで取れればシェイクスピア作品が原文ですらすら読める、というものでもないだろう。しかし、何かの手がかりになる基準のようなものが必要なので、これまでチューターが言ってきたことは、「高校卒業程度の英語力があれば、一応は Hamlet でも読めるという」ものであった。高卒程度のという言い方も、それほど厳密なものではないが、雑司が谷の森の前身(シェイクスピアを原文で読む会)の頃は、たまたま参加メンバーの多くが高卒程度の英語力を持った人たちで、大学で英文学を専攻した人は少なかった。高卒程度の英語力で本当にシェイクスピアが読めるのか、という反論はある。程度の問題は残るが、村上淑郎氏が「高校生のための原典Shakespeare」(筑摩書房)で見事に実践例を示されたが、私も可能論者である。


シェイクスピア劇を原文で読み始めた頃の7つの約束事

原文の意味を確認するために、チューターが参加者に幾つかの心得を守ってもらうようお願いしたのは、順不同でつぎの7つ約束事であった。

1)絶対に翻訳はしないようにしてほしい。シェイクスピア作品の翻訳書があれば、押し入れにしまって、絶対に参照しないこと。予習段階での翻訳や対訳の参照は百害あって一利なし、である。これには今でも雑司が谷の森では厳し過ぎるという反論があるが、シェイクスピアの英語に慣れることを目指すには、予習の段階では今でも譲れない学習条件である。ただし復習で対訳などを参照することは無益ではないと考えている。

2)原文の意味を確認するために、従来やってきたような、原文の行を前後して行きつ戻りつして訳すことをしないで、直読・直解式で日本語にして読み下しをしてほしい。従来の英語学習では、日本語として正確で立派な訳文をつくる英文解釈の方法が採られてきた。これに慣れてきた学習者には、現代英文を読むにも、この直読・直解式の読み下しに切り替えることは、なかなか大変である。まして、シェイクスピア劇でそれが可能なのか。当初は、訝る声もあったが、試してみると、だんだんと要領が身につくようになり、半年ほどで、多くのメンバーがこの読み下しに慣れてきた。

3)予習では、まずテープで何度もドラマを聴くことから始めること。

毎回の例会では前回に読み進めた箇所をテープで聞いてから、その日の例会を始めた。例会でも、RSCなどのシェイクスピア俳優によるスタジオ(またはステージ)録音テープを聴くことから始める。

4)朗読には、通じる(いわゆる communicative English)をめざして、現代英語の発音とイントネーション、ブレス(息つぎ)を正しく行なうよう努める。通じる英語とは、必ずしも流暢な英語ではないが、これも、日本の従来の英語教育では重視されなかったために、未だに実践目標である。

5)注釈書にはイギリスで出版されたものから選ぶので、日本語で書かれた注釈書はできるだけ見ないようにする。意味が理解できないところは、そのままにして例会に臨んでかまわない。安易に翻訳や対訳などを参照するよりも、その方がはるかに学習法としては有効である。あくまでも原文と対峙することが大切である。

6)英和辞典(翻訳辞書)は使わずに、できれば、英語辞典(いわゆる英英辞典、とくに Advanced Learner's Dictionaryやコウビルド英英辞典など)を使うようにすること。さらにシェイクスピア語彙辞典(グロッサリー)を丹念にひいて、シェイクスピア英語の基本語の意味と用法を調べること。(たたし固有名詞を確認するには英和大辞典などをひく。)

7)大型(A4判、いわゆる大学ノート)で単語ノート(いわゆる「ボキャビル・ノート」)を作ること。英語辞典をひくことと合わせて、これを23年後の今日でも実践している当初からのメンバーが雑司が谷の森に二人いる。

ただ、森が広がりを見せて、ミドル、シニア世代がシェイクスピア作品を楽しむために参加してくるようになってから、これらの約束事を厳密に守るよう要求することが適切かどうか、チューターとしては迷っている。特に柔軟に対応すべきだと思うのは、予習段階での翻訳の参照である。英文学を専攻しなかった参加者には、Hamlet などのような難解な作品ほど、予習の段階で翻訳や対訳を参照しないと原文の構成が読み取れないという人も少なくない。その反面、かなり現代英語に習熟し、注釈書も読みこなせる人たちは、日本語を使った訳読は不要であり、シェイクスピアの原文は原文のまま味わうべきである、と言う意見を持ち、台詞のリズムや語法の特徴から登場人物の心理まで読み取ろうとする。

さまざまなシェイクスピアの楽しみ方とシェイクスピア作品への期待や要求を持って集ってくるだけに、ひとつひとつの作品を読み進めながら、それらをどう調整するかが依然として大きな課題である。そのような調整には、よきコーデイネイターが不可欠である。自由な意見交換をすることが大切である。会読で感じたことをチューターから発信するためにも、グループごとに週刊または隔週のニューズレターを発行してきた。雑司が谷の森で出してきたニューズレターは、Macbeth を読むことから始めたので「ばーなむ」と命名したが、今年の1月で1000号を越えた。Hamlet を読むことから出発した多摩の森のニューズレターの「えるしのあ」も三つのグループに週2回刊で発信してきて600号を越えた。町田の会の参加者には同会の会報とは別にチューターが個人的に発信している「沙楽〜さらく」も170号になっている。

2000年にはいってから、雑司が谷の森がメンバーの宮垣弘さんのご努力でホームページを開設したことにより、新たな交流の機会が拡大された。Yokohama Shakespeare Group(YSG)の座長の瀬沼達也さんとの出会いもホームページがきっかけだった。瀬沼さんが提唱して実践しておられるシェイクスピア原文によるdramatic reading は私たちの会読のあるべき目標のひとつでもあると考えて、交流を深めている。


森に集う人びと

シェイクスピアの森には、アーデンの森のように、さまざまな人たちが集まってくる。私もシニア世代の一人だが、ミドル、シニア世代の参加者の皆さんの熱心さには、いつも圧倒されている。長く続けているので、参加メンバーはシニア世代が多い。現役の人もいるが、より多くが定年で退職した人たちで、ボランティア活動などをしながら生涯学習の一つとしてシェイクスピアに取り組んでいる人もいる。熱心度は年齢に比例するように思われる。ただ熱心なあまり、高価な「シェイクスピア辞典」を買いたいと言ったら、いまさら学者になるわけではないのでやめてください、と奥さんにたしなめられた、という話を聞いた。シェイクスピアをやってから家族や友人たちの評価が変わったことが誇らしいと言う。シェイクスピアが生きる楽しみの源になっていることは確かである。例会に参加して作品を読むたびにまとめエッセイを一冊(「シェイクスピアに魅せられて〜元・商社マンの気ままエッセイ〜」)にまとめて自費出版した人もいる。松岡和子氏の新訳で読むグループに初めから熱心に参加してこられた村形張司さんである。

森には、法律や経済や歴史を専攻した人たちもいる。法律用語が頻発するハムレットの台詞などは、そのような専門家に解説してもらう。商社に勤めていたために海外経験も豊富なメンバーもいる。地中海の風がなぜstrumpet なのかは、地中海をクルーズしたことのあるメンバーの説明が注釈書よりも遥かに説得力がある。花の好きな女性メンバーは、シェイクスピア作品にでてくハーブを庭に植えて、実物を持参して配ってくれた。それぞれの参加者が専門分野や興味を生かした学習に発展させている姿は清々しい。
ひとつの作品を読み終えるたびに、その作品の好きな台詞をデクラメイション(朗唱)することがある。ハムレットの "To be, or not to be…"やリチャードの独白を完全に朗誦するメンバーが何人もいるのは驚きである。シェイクスピア劇(作品)を読み、楽しむ方法には色々あるが、できるだけpage とstageの往還を大切にしている。特にオリジナル上演を観ることを優先している。イギリスまで観劇ツアーに参加するメンバーも少なくない。

 

シニア世代は Hamlet がお好き〜アンケート結果から

この報告をまとめるに当たって、森に出入りをしている皆さんにアンケートをお願いして、シェイクスピアを読むきっかけ、最も好きな作品(3作品まで)、好きな台詞、シェイクスピアの魅力はなにか、などで回答していただいた。50名ほどのメンバーと会友にお願いして、27名の方々から回答をいただいた。

シェイクスピアを読むきっかけでは、学生時代にハムレットの独白に魅かれて独力で原文で読んだことがある、坪内逍遥訳で読んだこと、高校時代に英語の教科書に載っていたシェイクスピアの名台詞に感動したこと、中学や高校時代にラムの「シェイクスピア物語」を読んだこと、オリビエの名画『ハムレット』やゼッフェレリの名画『ロミオとジュリエット』を見たこと、前進座の『ヴェニスの商人』の舞台を見たこと、母から『ヴェニスの商人』の話を聞いたこと、定年退職後の趣味のひとつとして、などさまざまである。最も好きな作品の上位5位までのトップは『ハムレット』(15)で、2位は『リア王』(11)、3位は『マクベス』(9)4位は『十二夜』(8)、5位は『夏の夜の夢』(6)。アンケートの結果からはミドル、シニア世代はHamletがお好きだ、ということになる。

私にもHamlet には、忘れがたい想い出がある。高校時代に仙台市の古本屋で見つけた沢村寅二郎対訳のHamletが欲しくて何度もその古本屋に足を運んだ。当時の定価は200円だったが、すぐには買えなかった。幸い、数ヶ月は売れなかったので、無事に手に入れることができた。思い出の書として今も書棚に納めて大事にしている。

 

シェイクスピアの魅力とはなにか

ミドル、シニア世代にとって、シェイクスピアの魅力とはなにかもアンケートで答えていただいた。回答を寄せていただいた人々の、さまざまなシェイクスピアとの関わりが読み取れて感銘深い。何人かのお答えをご紹介しておきたい。
・ 多義的な意味と言葉遊びを織り込んだ韻律のある台詞の面白さ。
・老若男女、悪人も善人も含めてあらゆる人間を描きだしているところ。
・人間の喜怒哀楽の場面設定と表現力の素晴らしさ及び人生の機微にふれた名台詞。
・色々な人間、色々な人生があるが、「裸になればただの人間だ」いうことを学びました。だから、人間性が一番大切ということも。
・一つの台本が演じることによって、変幻自在に姿を代え、受け取り方も千差万別になるところです。汲んでも汲んでも尽きない井戸のようです。そしてもちろん、歌のようなリズムのある台詞が好きです。
・テキストの普遍性。また、世界中の多くの人に楽しまれていること。ただ読むだけでなく、様々な演出により演劇や映画でも楽しめること。
・心理のひだの奥の奥までひっくり返して、人の心に潜む秘密をあますところなく言い尽くす台詞。どんな悲惨な結末であっても、違う終わり方が考えられないような、物語の必然性から来る潔さ。
・人間てなんて馬鹿なんだろう(『夏の夜の夢』のパックの台詞ですね)。その人間の愚かさを見事に作品の中で結晶させて、それでいて人間を愛おしくさせてくれるところでしょうか。
・人間を写し出し、大変面白い、苦い時間を与えてくれます。
・Blank verseのリズムの美しさ。
・奥深いこと。
・シェイクスピアの諸作品に登場する人物のセリフが、時代を越えて読む人、観る人の気持ちを揺さぶるところが魅力だと思っています。
・世界の富を独り占めにしたエリザベス朝時代の経済的繁栄を背景にした、ほとばしり出るような情熱と玲瓏として響く言葉の美しさです。"bawdy"という言葉をはね返すような、おおらかで、人間の魅力に溢れた、余裕ある世界に突き動かされます。
・言葉の魔力、美しさ。人間に対する多様な包容力。兎に角、読んでいると元気を与えられます。

森に集う多彩な熱意あふるれる人々との交わりが深まるうちに、いつしか森番も大きな夢を持つようになった。青年時代にシェイクスピア生誕400年祭を祝うことができた者の一人として、できることなら9年後の没後400年記念行事に参加したい、という夢である。 Willありて、いざ生きめやも。

 

Come hither, come hither, come hither!

私の大好きな日本の劇作家の井上ひさし氏には『天保十二年のシェイクスピア』がある。一昨年に蜷川幸雄の演出で再演されて話題になった。そのオープニングに、「もしもシェイクスピアがいなかったら..」で始まる歌がある。歌詞の一部に、こうある。

「シェイクスピアは米びつ 飯の種(たね)

あの方がいるかぎり 飢えはしない

シェイクスピアは米の倉 腹の足(たし)

あの方がいるかぎり 死にはしない...」

その歌詞にある以上に、シェイクスピアはいまミドル、シニア世代に励ましと楽しみと生きる力を与えている。近年、首都圏のステージを飾るシェイクスピア劇の上演回数も増えて、団塊の世代の人たちがシェイクスピアと出会う機会も多くなっている。世代を超えたより多くの人たちが森に集ってくる日のことを夢見ながら、アーデンの森で「緑なす木陰で」を歌うアミアンズのように、「きたれ!シェイクスピアの森へ!」の呼びかけをこめて、週刊の「シェイクスピアの森通信」をメールで発信している。

Come hither, come hither, come hither:

Here shall he see

No enemy

But winter and rough weather.

---As You Like It 2.5

(シェイクスピアの森・東京 主宰)

日本シェイクスピア協会会報 Shakespeare News Vol. 46 No. 3 March 2007(2007年3月31日発行)より転載

空白
関場理一(せきば りいち)プロフィール
1938年10月19日生まれ(宮城県出身)。
法政大学文学部英文学科卒。 在学中は桂田利吉教授のゼミに参加。
約25年間、国際問題を中心に翻訳・同時通訳者として活躍。

1995年6月〜10月、 ピースボートの地球一周クルーズ講師(ナヴィゲーター)を務める(洋上講座では国際問題、英語会話、シェイクスピアなどを担当)。
約15年間にわたり、東京都豊島区雑司が谷において、社会人のシェイクスピア原書会読を指導。

1998年、 更に内容と活動エリアを拡大し、東京都多摩地区(立川、国立など)を中心に
<シェイクスピアの森> を設立。現在、同会の主宰・森番。
同時に雑司が谷シェイクスピアの森、シェイクスピアを楽しむ会−シェイクスピアの森・町田のチューターを務め、現在も継続中。
2007年4月〜2010年4月まで、コミュニテイ・ラジオFM多摩で「シェイクスピアンカフェ」のDJ(マスター)を務める。

限定メルマガ「シェイクスピアの森通信」を毎週月曜日に発信。
Twitterでも「シェイクスピアCafe」などで発信。
https://twitter.com/shakesforester

趣味:音楽鑑賞(モーツァルト)、蕎麦食べ歩き
空白
連絡先
〒190‐0003東京都立川市栄町1−14−11
e‐mail foresta-shakes@nifty.com tel / fax 042‐521‐0944
 
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