私が愛の誓いを破ったのをおまえは知っている。
だが、おまえは二度まで私に対して愛の誓いを破ったのだ。
まず閨房の誓いを破り、次に新たな誓約を引き裂いた、
新たな愛を産んでは新たな憎しみを誓いながら。
だが、どうして二度の誓いの破約でおまえを責められよう、
私は二十度(たび)も破ったというのに。私こそ約束破りの張本人、
私の誓いはすべておまえを欺く約束に過ぎない、
おまえのせいで私の誠実な約束はみな失われた。
なぜなら、私が固く誓ったことは、おまえの心からの親切、
おまえの愛、おまえの誠実、おまえの貞節への、数々の誓いであった、
そして、おまえを輝かせるため盲目の眼に
見えるものを逆であると誓わせた。
私がおまえを美しいと誓った、その眼はいっそう嘘つき、
真実に背いてそんな汚い嘘を誓うのだから。
【私の鑑賞】
詩人の誓い破りとは何だったのか?(注釈によると自伝的な解釈もあるようだがここではふれない)
女の二度の誓いとは何だったのか?
詩人の二十度(数多く)の誓いとは詩人の女性遍歴であり、女の二度の誓いは、彼女の夫との閨房の誓いと、詩人との愛の誓いということが考えられる。
新たな愛と憎しみは、詩人の愛した青年を女が愛したことと考えられる。
だが、詩人の心の底流をなす、美しくもない女に溺れてしまった詩人自身への自嘲を感じる。『マクベス』の魔女の台詞、「きれいは汚いで、汚いはきれい」を思い出させる。