シェイクスピアのソネット
 

146 魂の勝利

 

罪深い土くれの中心、哀れな魂よ

おまえを動員するこの反乱軍が―

おまえは内にあっては欠乏し、飢えに苦しみながら

どうして外壁にそれほど派手に金をかけて飾るのか?

 

定めの時は短いのに、どうしてそんな莫大な費用を

やがては朽ちてゆく館のために費やすのか?

その贅沢の相続人である蛆虫に

おまえの出費を食いつぶさせるためか?それがお前の肉体の定めか?

 

それでは魂よ、おまえのしもべの損失で生きるがよい

そしておまえの蓄えを増やすため、肉体をやつれさせるがいい

束の間の時を売って永遠の命を買うがよい

内に糧を与え、外見にはもう金をかけるな

 

そうして、人を食らう「死に神」をおまえが食べるのだ

  そして、「死に神」が死んでしまえば、もう死ぬこともない

 

 

【私の鑑賞】

ダ―クレディはどこへいったのか?!

詩人はここでは宗教的になって、肉体を超えた魂の勝利を謳う。

「魂」を謳った詩人にジョン・ダンがいる。

そのダンの詩句に

「死よ驕るなかれ、たとえおまえが強大で、恐れられようと」

というのがあるのを思い出す(宗教詩『神に捧げる瞑想』第10章の1-2行目)。

また、新約聖書『コリントの信徒への手紙(1)』15章26節に

「最後の敵として、死が滅ぼされます」

がある。

146番はシェイクスピアの心境の変化に興味がそそられる詩。

2行目の文頭に諸説あり、ここではそこを「―」として訳出した。