罪深い土くれの中心、哀れな魂よ
おまえを動員するこの反乱軍が―
おまえは内にあっては欠乏し、飢えに苦しみながら
どうして外壁にそれほど派手に金をかけて飾るのか?
定めの時は短いのに、どうしてそんな莫大な費用を
やがては朽ちてゆく館のために費やすのか?
その贅沢の相続人である蛆虫に
おまえの出費を食いつぶさせるためか?それがお前の肉体の定めか?
それでは魂よ、おまえの僕の損失で生きるがよい
そしておまえの蓄えを増やすため、肉体をやつれさせるがいい
束の間の時を売って永遠の命を買うがよい
内に糧を与え、外見にはもう金をかけるな
そうして、人を食らう「死に神」をおまえが食べるのだ
そして、「死に神」が死んでしまえば、もう死ぬこともない
【私の鑑賞】
ダ―クレディはどこへいったのか?!
詩人はここでは宗教的になって、肉体を超えた魂の勝利を謳う。
「魂」を謳った詩人にジョン・ダンがいる。
そのダンの詩句に
「死よ驕るなかれ、たとえおまえが強大で、恐れられようと」
というのがあるのを思い出す(宗教詩『神に捧げる瞑想』第10章の1-2行目)。
また、新約聖書『コリントの信徒への手紙(1)』15章26節に
「最後の敵として、死が滅ぼされます」
がある。
146番はシェイクスピアの心境の変化に興味がそそられる詩。
2行目の文頭に諸説あり、ここではそこを「―」として訳出した。