私の高貴な愛が情況から生まれ出たものに過ぎないとすれば、
それは運命の女神が産んだ私生児としての父無し子、
「時の神」の愛や憎しみに左右され、
雑草として捨てられるか、花輪の花として加えられるかだ。
いや、私の愛は偶然とはかけ離れた場所に築かれた、
私の愛は美辞麗句に浮かれることもなく、
鬱屈した不満の痛手で倒れることもない、
当節の流行ではそのどちらかに人を導くけれど。
私の愛は、かの異端者の策謀を恐れない、
そんなものは長続きしない賃貸契約も同じ、
ただひとり大いなる賢明さを頼りとし、
私の愛は順境にも逆境にも左右されることがない。
この証人として私は「時」に操られた道化どもを召喚する、
その者たちは罪のために生き、善のために死ぬ者たちである。
【私の鑑賞】
難しい。
時事的な事柄を含んでいるのかどうかという問題もあって、注釈書の多くもこの詩が難しいことを述べている。
訳し終えてタイトルをつけるときに、この詩の全体像が見えたような気がした。
それは「私の愛」=「真の愛」は時代に左右されないということで、それをそのままタイトルにした。