シェイクスピアのソネット
 

124 時代に左右されず

 

私の高貴な愛が情況から生まれ出たものに過ぎないとすれば、

それは運命の女神が産んだ私生児としての父無し子、

「時の神」の愛や憎しみに左右され、

雑草として捨てられるか、花輪の花として加えられるかだ。

 

いや、私の愛は偶然とはかけ離れた場所に築かれた、

私の愛は美辞麗句に浮かれることもなく、

鬱屈した不満の痛手で倒れることもない、

当節の流行ではそのどちらかに人を導くけれど。

 

私の愛は、かの異端者の策謀を恐れない、

そんなものは長続きしない賃貸契約も同じ、

ただひとり大いなる賢明さを頼りとし、

私の愛は順境にも逆境にも左右されることがない。

 

  この証人として私は「時」に操られた道化どもを召喚する、

  その者たちは罪のために生き、善のために死ぬ者たちである。

 

 

【私の鑑賞】

難しい。

時事的な事柄を含んでいるのかどうかという問題もあって、注釈書の多くもこの詩が難しいことを述べている。

訳し終えてタイトルをつけるときに、この詩の全体像が見えたような気がした。

それは「私の愛」=「真の愛」は時代に左右されないということで、それをそのままタイトルにした。