シェイクスピアのソネット
 

121 性悪説

 

どうせ悪(わる)に思われるなら悪になった方がましだ

悪でもないのに悪だと非難され

正当な楽しみすらも奪われ、その楽しみも

他人の眼から見れば悪だが、当人の感覚ではそうではない。

 

どうして他人は欺瞞の好奇な眼をして

私の好色な性癖を歓迎するのか?

また私より罪深い者が私の弱点について

自分の好色癖で私が善と思うものを悪とみなすのか?

 

いや、私は私だ。私の欠点をあげつらうものは

自分の欠点をもって数え上げるのだ

私は彼らが曲がったことをしても正直で通そう

彼らの腐った考えで私の行為を判断させてはならない。

 

  すべて人は悪であり、悪で支配されている

  という普遍的性悪説を彼らが主張する限りは。

 

 

【私の鑑賞】

これまで詩人は自分の過ちを過ちと認めてきたが、今では開き直ったかのようである。

自分は間違ったことをしていないと思っていても、他人の眼からは過ちと見られる。

正しいと思ったことも間違いだと解され、正当な楽しみですら好色な眼で見られる。

どのように見られようとも自分は自分でしかないと詩人は自らを覚る。

世間が性悪説をとる限りにおいては、自分は自分が正しいと思うことを守り通そうと詩人は決意する。