シェイクスピアのソネット
 

120 相身互い

 

君が冷淡であったことが今になって役に立つ

あのとき私が受けた悲しみのため

自分が犯した罪に身を屈するしかない

私の神経は鋼鉄でも真鍮でもないのだから

 

私の冷たい仕打ちに君が苦しんだとすれば

君のせいで私が苦しんだように、君も地獄の時を過ごしたはず

だが暴君同然の私には考える余裕さへなかった

君が犯した罪で私がどんなに苦しんだかということを

 

私たちの過ごす辛い悲しみの夜が思い出させてくれていたらと思う

どんなに辛い真の悲しみが心底私を襲うかということを

あのとき君が私にしてくれたように、すぐにも君に

傷ついた胸に効く謝罪の軟膏をやっておればよかった

 

  だが君が犯した罪は今こそ償われるとき

  私の罪が君の罪を償い、君の罪が私の罪を償うべきだ

 

【私の鑑賞】

これまで詩人は自分の罪を悔いるか、青年の罪を責めるかの一方通行であったが、今や二人が犯したそれぞれの罪を相身互いと許し合う時。

許し合うことで二人の間に和解が生じるのかどうか。

詩人は青年の罪を許すと言いながら、その実青年に一方的に押しつけているように感じる。

二人の心が疎遠となった今、再び二人の仲は戻るのであろうか?!