ある人は君の過ちは若さにあるといい、ある人は放蕩にあるという。
ある人は君の魅力が若さにあるといい、紳士の遊興にあるという。
君の魅力と欠点は、身分の高いものから低いものまでに愛されている。
君は欠点を君への魅力に変えてしまうから。
玉座に坐す王妃の指の上では
最も粗末な宝石すら高く崇められるように
君に見られる欠点の数々も
美徳へと変容し、立派な行為とみなされる。
残忍なオオカミが羊の衣を着ければ
多くの羊が欺かれてその餌食となる。
同じように君が持てる力を思う存分に使えば
多くの崇拝者が君のために道を誤ることになる。
だが、そうしてはならない。私の愛はとても深く、
君は私のものだから、君の名声も私のものだ。
【私の鑑賞】
95番のソネットに続き、青年の外見の美は、彼の罪(欠点)をも美徳(魅力)に変容させることを詠う。
青年の若さが過ちの原因であるとともに、同時にそれが魅力の元でもある。
青年は詩人にとって、二律相反する存在であり、矛盾の存在でもある。
最後の対句(カプレット)は、36番とまったく同じものである。
青年は詩人が心の中で産み出したものだから、詩人は青年であり、青年は詩人である。