彼の華麗なる詩が堂々と帆を張って、
君という貴重な獲物をめざして船出したことで、
生まれかけていた私の思考が脳髄の中に埋葬され、
思考が生まれ育った胎内を墓場と化したのか?
私を打ちのめしたのは、人知を超えた詩を
書くことを精霊に教わった、彼の活力であったのか?
いや違う、彼でもなければ、夜の学派の彼の仲間たちでもない、
彼を助けて、私の詩を脅かしたのは。
彼でもなければ、夜毎、彼に知識を与えては
たぶらかす愛想のよい亡霊でもない、
私を黙らせて勝利者として誇ることができる者は。
そんなことで私は恐れを抱いたのではない。
しかし、君の容姿が彼の詩を助けて完璧なものにすれば、
その時こそ、私は主題に事欠き、私の詩が無力になる時だ。
【私の鑑賞】
シェイクスピアのライバルの詩人について言及する最後のソネット。
シェイクスピアのライバルの詩人が誰であったのか、それはここでは問題ではない。
それが誰であれ、シェイクスピアが無力となるのは、青年の気持がそのライバルの詩人に向いて、ライバルの詩人が青年のことを書く特権を得た時である。
その時、シェイクスピアは自分の詩の主題を失い、沈黙せざるを得なくなる。
シェイクスピアはライバルの詩人を気にかけているのではなく、青年の気持が移ろうことを心配し、恐れている。