だが取り乱さないでほしい、私が強引に拘束され
保釈の見込みもなく連れ去られようとも。
私の生命はこの詩の中に投資されているので、
形見としていつまでも君とともにある。
この詩を繰り返し読めば、君は
君に捧げられた大切なものをまた見ることができる。
土は所詮土のもの、それは土の権利であり、
私の優れた部分である私の「心」は、君のもの。
だから君が失ったものは命の滓でしかなく、
私の肉体が死ねば、それは蛆虫の餌となるに過ぎない、
卑劣漢の刃に倒れた臆病者でしかなく、
君が思い出すだけの価値もないものだ。
肉体の価値は、肉体が包む「心」にこそある、
「心」とはこの詩であり、この詩は君とともに残る。
【私の鑑賞】
詩人は悲観ばかりはしていない。
肉体は滅び、土塊となる。土塊は大地に返すのが自然の習い。
だが、肉体そのものには価値はない(肉体の死には蛆虫のイメージが常につきまとう)。
大事なのは、肉体が包む心であり、その心を表象するのがこの詩である。
そしてその詩は、詩人が死んだ後にも青年とともに残る。
青年が繰り返し詩人の詩を読み返してくれることで。
そのことで詩人もいつまでも青年とともにいることができるのだ。