そのように彼の頬は過ぎ去った日々の縮図である、
美は今と同じように花のごとく咲いては凋んだ。
以前にはこれらの美の私生児が幅を利かせることも、
生きている者の額に大胆に住みつくこともなかった。
以前には死者の金色の髪の房は、
墓場の権利として、刈り取られることもなく、
二人目の頭で第二の生を送ることもなかった。
死者の美しい髪が他人の飾りとなることはなかった。
彼の中にこそ聖なる古の時代が見える、
飾りとてなく、あるがままの真実で、
他人の緑の衣裳で夏を装うこともなく、
古人から盗んで新しく美を飾ることもない時代が。
自然の女神が縮図として彼を蓄えておくのは、
偽りの技巧に昔の美がどんなであったかを示すため。
【私の鑑賞】
現在の虚飾の時代に本物の美はなく、あるのは見せかけの美だけである。
見せかけの美は、化粧で頬を染め、鬘で頭を飾り立てた美しさであり、それは私生児のようなもので、美の嫡男ではなく、偽りの技巧である。
自然が彼をこの世に残したのは、その偽りの技巧に本物の美を示すためである。