私の目、私の心、私の身体のいたるところ、
自惚れの罪が支配する。
私の心の奥深く根を張っているので、
この罪につける薬もない。
私の顔ほど魅力的なものはなく、
姿かたちが整い、高潔なものはほかになく、
自分で自分の価値を
誰よりも優れていると決め込んでいる。
ところが実際に私を鏡にうつせば、
歳月にさらされた無残な姿、
私の自惚れとは正反対、
自惚れが己に罪なことを知る。
私は自分のために君(つまりは私自身)を称え
私の老体を君の若さの美で飾り立てている。
【私の鑑賞】
詩人はなぜ自分が誰よりも顔かたちが魅力的で、心も高潔であると自惚れているのか。
鏡で自分を映せば、そこには歳月に蝕まれた醜い姿が映るだけである。
詩人が自分を装飾して称賛するのは、詩人と青年が一体であり、一つであるということにある。
だから自分を褒めることが青年を称賛することではあるが、そこには青年とは離れてしまった、詩人の孤独と寂寥感の痛ましさが漂う。
自惚れが罪だとするのはそこにあり、鏡に映った醜い自分の姿はその罪の表象である。