最初に私を君の奴隷にした神が禁じたことは、
君の楽しい時間を抑制しようと思ってはならず、
時間の清算表を君の手から求めたりしてはならない、
私は君のお呼び出しを待つ召使の身でしかないのだから。
ああ、君の指図を待つ私を耐えさせてくれ、
君が自由にする時間は君が不在の牢獄だ、
だから忍耐よ、苦しみに馴れよ、拒絶に耐えよ、
君が負わせた傷を責めることもすまい。
君がどこにいようと、君の特権は強大で
君は自分の時間を君の好きなように
使うことができる。時間は君の思いのままであり
君自身が犯す罪も自分で許すことができる。
私は待つ身、待つことは地獄だけれど、
君の楽しみの良し悪しに文句を言えない。
【私の鑑賞】
57番のソネットに続き、詩人は青年の心の奴隷であることを謳っている。
だから主人に対して、どのように過ごしているか、どういう予定かなどと求めることはできない。ただ主人の命令を待つばかりである。
待つことは耐えること。
青年の(詩人に対する)特権は強大で、好きなところで好きなことができ、しかも詩人に対してその罪を負うことはない。
詩人はただ待つしかないが、待つことは地獄である。
しかも青年の楽しみが詩人に対してよからぬことであっても責めることはできない。