51 渋る心と逸る心

 

こうして私の愛はその遅い罪を許すことができる、

君から離れて行くときの、のろまな馬を。

君がいる場所から去るのに、どうして急ぐ必要がある?

帰る時まで、早馬は必要ない。

 

ああ、帰るときには哀れな馬はどんな言い訳ができよう、

どれほど急ごうと遅いとしか思われなければ。

その時には、風に乗っていようとも、拍車をかけよう、

天翔る速さも動いているようには思えないことだろう。

 

その時には、どの馬も私の欲望にはかなわない、

だから完璧な愛からなる欲望は

のろまな馬とは違って、炎の疾走の中で嘶くだろう、

だが、愛は愛ゆえに、私の駄馬をこう言って許すだろう。

 

  君から去るとき、わざとゆっくり走ってくれたので、

  帰りは私が走り、そいつは自由に歩かせるのだ。

 

【私の鑑賞】

詩人を乗せた馬は、詩人の心を理解しているかのように、のろのろと進む。

青年から遠ざかっていく旅路に、どうして急ぐ必要があろうか。

だから詩人は、その馬の遅怠を許すことができる。

というより、むしろ歓迎したい気持である。

だが、帰りとなれば話は別だ。

速く青年の元へと帰りたいという詩人の欲望は、どんな馬の速さも追いつくことできない。

詩人の急いで帰りたいという欲望は火焔となって疾走する。

青年と離れて行く行きは、わざとゆっくり歩いてくれたので、帰りは詩人の<思い>を走らせ、馬には自由に歩かせることにする。