こうして私の愛はその遅い罪を許すことができる、
君から離れて行くときの、のろまな馬を。
君がいる場所から去るのに、どうして急ぐ必要がある?
帰る時まで、早馬は必要ない。
ああ、帰るときには哀れな馬はどんな言い訳ができよう、
どれほど急ごうと遅いとしか思われなければ。
その時には、風に乗っていようとも、拍車をかけよう、
天翔る速さも動いているようには思えないことだろう。
その時には、どの馬も私の欲望にはかなわない、
だから完璧な愛からなる欲望は
のろまな馬とは違って、炎の疾走の中で嘶くだろう、
だが、愛は愛ゆえに、私の駄馬をこう言って許すだろう。
君から去るとき、わざとゆっくり走ってくれたので、
帰りは私が走り、そいつは自由に歩かせるのだ。
【私の鑑賞】
詩人を乗せた馬は、詩人の心を理解しているかのように、のろのろと進む。
青年から遠ざかっていく旅路に、どうして急ぐ必要があろうか。
だから詩人は、その馬の遅怠を許すことができる。
というより、むしろ歓迎したい気持である。
だが、帰りとなれば話は別だ。
速く青年の元へと帰りたいという詩人の欲望は、どんな馬の速さも追いつくことできない。
詩人の急いで帰りたいという欲望は火焔となって疾走する。
青年と離れて行く行きは、わざとゆっくり歩いてくれたので、帰りは詩人の<思い>を走らせ、馬には自由に歩かせることにする。