私の眼と心が命がけで争っている、
どうやって君の姿という戦利品を分け合うかを。
眼は、心に君の絵姿を見せまいとし、
心は、眼に見る権利を自由に使わせまいとする。
心は、君は心の中にいるのだと申し立てる。
(心は、水晶体の眼では見通すことのできない小室)
だが被告はその申し立てを否定し、
君の美しい姿は眼の中にこそあると主張する。
この所有権をめぐっては
「思考」が陪審員となるが、全員、心の支持者である。
彼らが下す判決によって
澄んだ眼の取り分と、高貴な心の取り分が決定される。
このようにして、眼の取り分は君の外側の部分となり、
心が受け取る権利は、君の内なる愛となった。
【私の鑑賞】
46番のソネットは47番と対になっており、46番の眼と心の争いが、47番では和解へと移る。
詩人の青年に対する愛の表現が、抽象化され、内面化され、精神化されていくのを見るようだ。
眼は、具体性、外見、身体的なものに向かい、心は、抽象性、内面、精神的なものへと向かう。
この眼と心の争いをめぐっては、法律のイメージを喚起して、法廷用語が多用されている。
眼と心の争いでは、両者は互いに半分ずつその権利を得たかのようであるが、「愛」を得た心にその勝利が帰するようである。