44 重い肉体、土と水

 

私の肉体の重い物体が「思い」のように軽ければ、

意地悪な距離も私の行く手を妨げないだろうに。

そのとき、空間をものともせず、私は行くだろう、

どんなに遠く離れた辺境でも、君がいるところなら。

 

そのとき、私がどこにいようと問題ではない

たとえ君から最も遠い地の果てにいようとも。

敏捷な「思い」は海も陸も飛び越えて行くことができる

「思い」がそこへ行きたいと思えばたちどころに。

 

ああ、だが私は「思い」でないという思いで身が重い、

君が去った後、何千マイルもの距離を飛んで行くには、

大方が土と水の重い元素からなっている私は、

嘆きつつ、時節到来を待つしかない。

 

  そんな重い元素から受け取るものは

  水と土の嘆きの表象、悲しみの重い涙だけ。

 

 

【私の鑑賞】

人間は、土、水、空気、火の四元素からなると考えられていた。

44番のソネットでは、大半が土と水という重い元素からなる肉体を主題にしている。

45番で空気と火が扱われ、44番と45番は一連の詩として対にして読むべきだろう。

肉体が「思い」のようであればと願うのは、たとえ地の果てであろうとも、青年のところへ飛んで行くこともできるから。

だが、それはかなわぬ願いであり、時を待つしかない。

待つことから詩人が受け取る代償は、重い肉体の元素である水と土の嘆きの表象、重く悲しい(heavy)涙だけである。