君が彼女をものにしたことが私の悲しみのすべてではない、
それでもなお私は彼女を深く愛していると言えるのだ。
彼女が君をものにしたことが私の悲しみの主な理由で、
愛を失ったことが私をいっそう辛くする。
愛し合う罪人よ、私は君たちのために弁明しよう。
君が彼女を愛すのは、私が彼女を愛しているのを知っていたから、
そして彼女が私を騙したのは、まったく私のためであり、
私の友が彼女を味見するのを許したのも、私のためだと。
君を失えば、私の損失が私の恋人の得となり、
彼女を失うことで、私の友が私の失ったものを見出す。
二人はお互いを見出だし、私は二人をともに失う、
二人は、私のためにこの十字架を私に背負わす。
だがここに喜びがある、私の友と私は一体である、
甘い自己欺瞞!だから彼女は私一人を愛しているのだ。
【私の鑑賞】
私の友が私を裏切ったことより私の恋人が自分を裏切ったことの方が、詩人にとってはより辛く傷ついている。
しかし、友が私を裏切ったのは、私が彼女を愛していると知っているからであり、彼女が私を裏切ったのも、そのことを知っていて彼を誘ったので、詩人は二人を許す心になって弁明を試みている。
二人がお互いを得ることで、詩人は二人を失うが、友と私は一体であるはずだった。
ということは、彼女が彼を愛すということは、ほかならず自分を愛すことと同じであり、詩人は結局彼女の愛を独占できることにもなる。
詩人はそのように悲しみを偽って喜びとする、自己欺瞞。