放縦が犯すこれらのちょっとした過ちは
君の心から眼を離した隙に起こるのだ。
君の美しさと若さはよく似合っている。
だから君がいるところに誘惑はつきものだ。
君は優しい、だから手に入れる価値がある。
君は美しい、だから攻める価値がある。
女から求められて、男子たるもの
つれなく放り、ものにしないでいるものか?
ああ、それでも君は私の席を拒むことも、
君の美貌と若さゆえの過ちを叱ることもできたのに、
美貌と若さは君を放蕩の道に招き、
君は二重の信実を破ることになったのだ。
君の美貌が彼女を誘惑して、彼女の信実を破り、
君の美貌が私に不実をして、君の信実を破るのだ。
【私の鑑賞】
ソネット40番(「私の恋人を奪った君へ」)の続きである。
前半部では青年の罪を、美しく若い青年にはつきものの過ちとして許しているようにみえるが、後半では、青年がその過ちを避けることもできたはずだとなじっている。そして青年が自分から彼女を奪ったことで、青年が詩人に対して二重の不実を犯したと責める。
これまでは青年と詩人の間の二人の愛情関係であったが、40番から詩人の恋人(女性)がからむ三角関係となってきた。この三角関係がやがて「ダークレイディ」として知られる一連のソネット、127−154へと深化される。
二連目の詩句は、『ヘンリー四世・第一部』の第5幕第3場、サフォークの台詞
’She is beautiful, and therefore to be wooed;
She is a woman, therefore to be won’ (78-9)
(「彼女は美しい、だから求愛して当然だ。彼女は女だ、だからものにできないはずがない」)を想起させる。