シェイクスピアのソネット
 

110 戻ってきた放蕩息子のように

 

悲しいことにはその通りだ。私はあちこちと出かけては

自分の道化姿を人目にさらし

自分の心を傷つけては大切なものを安売りし

新たな愛を求めては昔の罪を繰り返した。

 

まったくその通り、私はまことの愛に

目をそむけて素知らぬ振りをしていた。だが誓ってもいいが

その浮気心が私の心を甦らせ

つまらぬ経験を通して君こそ私が愛する最高の人だと分かったのだ。

 

今はすべてかたがついたので、変わらぬ愛を受けてほしい

私の愛を新たな試金石にかけて

私が固く結ばれている、愛における神とも仰ぐ古くからの友人を

試すようなことは二度としないから。

 

  だから私を快く受け入れてほしい、天国の次に最高と仰ぐ

  清らかにして愛してやまない君のみ胸に。

 

 

【私の鑑賞】

詩人は、戻ってきた放蕩息子のように自分を受け入れてくれと青年に懇願する。

愚かな道化姿を人目にさらしては次から次へと愛情を抱き、大切なものを安売りし、自分の心を傷つけてきたことを告白する。

だが青年より劣った者に心を傾けたことで、青年こそが詩人にとって最高の人であると分かり、詩人はすべてを清算し青年の元へと帰って来たという。

だから再び自分を受け入れてくれという。

文字通りの意味から転じてこれをアレゴリーとみると、詩人は詩以外のことに目を向けていたのを、詩人は詩を書くことが自分の本分であると気づき、詩神への訴え、呼びかけと解することも可能である。

詩以外のことに目を向けるとは、詩に較べて戯曲が格下に思われていたことを考えれば、劇作のことになるだろう。そして愚かな道化姿を人目にさらすとは、舞台に立つことを意味することになるだろう。