私個人の心配事も、世間一般の憶測も
来たるべき事態を想像しては
限りある運命の定めとしての罰と思っていたが
もはや私の真実の愛の期限を支配することはできない。
この世の月とも仰ぐ方は「蝕」を耐え忍んで来られ
悲観論者の占い師の予言は見事に外れた。
不安は今や安心を冠に戴き
オリーブを象徴に永遠の平和を宣告する。
今やこの最も穏和な時代の恩恵によって
私の愛は蘇り、死は私に屈従する。
私はこの貧しい詩の中に生き続け、死をものともしないが
一方で死は、もの言うすべのない輩には高慢に振る舞う。
そして君はこの詩の中に君の記念碑を見出すだろう、
僭主の紋章や真鍮の墓が朽ち果てた後も。
【私の鑑賞】
「ソネットの一群の中で最も難しい」と言われるだけあって、当初は訳すのに困惑した。
いわゆる「日付のあるソネット」ともいわれ、時代を特定するような詩句が随所に現れる。
面倒な説明は省くが、第二連、5−8行目は「この世の月とも仰ぐ」エリザベス女王の危機的状況の克服やジェームズ一世のイングランド王即位を表意する文言ととられる、またその恩恵での自由への釈放ということをとらえれば、1603年4月のサウサンプトン伯のロンドン塔からの釈放という事態が想定される。
そのような一連の歴史的事件と重ね合わせれば、シェイクスピアのソネットの創作年代にも絡んでくるだけに私の手には負えない。
ここでは、最終連のカプレット、詩の永遠性のテーマについて考えをめぐらす方が無難だろう。