102 沈黙の理由(わけ)

 

私の愛が見た目に弱く見えるほど、実は強くなる

見かけは弱くとも、愛が乏しいのではない。

至る所で愛の高値を触れ回るのは

愛を売り物にしているだけだ。

 

私たちの愛が新鮮だったとき、春には

私の唄で挨拶を贈ったものだった

ナイチンゲールが夏の初めに歌い

実りの秋には唄うのをやめるようなものだ。

 

その悲しげな鳴き声が夜を静めていたときより

夏の盛りの今が楽しくないというわけではない。

いまはただ野鳥が枝もたわわにさえずるので

甘美も過ぎれば歓喜も薄れるというものだ。

 

  だからその鳥のように、時には私も口を噤むのだ

  私の唄で君を退屈にさせたくないから。

 

 

【私の鑑賞】

詩を書かなくなったからといって、詩人の愛が薄れたわけではなく、実際にはますます強くなっていると詩人は主張する。

その理由として、愛を公に触れ回るのは愛を商品化して、愛を貶めるだけと詩人は言う。

詩人の愛が新鮮だった時、挨拶のように青年に愛の唄を贈ったものだった。

しかしその愛が深まった時、詩人は却って沈黙を守る。

ライヴァルの詩人たちが姦しく青年を称賛して謳うようになったので、馴れ過ぎてかえって侮りを招くようなものとなり、詩人は青年に退屈な思いをさせないために詩を書くのをやめているのだと言う。