四十度の冬が君の額を包囲し、
その美しい戦場に塹壕を深々と刻むとき、
君が誇る若さという衣装も、そうやって今見つめられてはいても、
取るに足りないぼろ切れ同然となってしまうだろう。
君の美しさはいったいどこにいったのか、
君の輝かしかった日々の宝はどこにあるのかと尋ねられて、
深く落ち窪んでしまった君の眼の中にあると答えるのは、
まったくもって恥さらし、無益な称賛に過ぎなかったことになる。
君の美しさの利息の方がどれほど称賛に値することか、
もし君が、「この美しい僕の子供が
僕の総決算であり、僕が老いた理由です」と答えることができれば、
彼の美しさは君から相続したものだとはっきりする。
それこそ君が老いてなおかつ新たになることであり、
冷たくなった血が温かく甦ることになるのだ。
【私の鑑賞】
平均年齢が四十歳に満たなかった当時では、四十歳といえば中年から老年にさしかかる年齢です。詩人は青年が老いた時のことを今から憂えています。
青年の額には時が刻む皺も目立ち始め、若き日の面影は薄れ、青春の美しさも失われていきます。
その時になって君の美しさはどこに消えたのだと問われた時、君に子どもがいれば、その子を示すだけで事足りるのです。
君は子どもを通じて、老いてなおかつ新しく生まれ変わるのです。
詩人はそう語ることで、君に結婚を勧め、子どもを作るように促しています。