その時が来たとき誰が私の詩など信じるだろう、
たとえその詩が君の最高の美点に満ちていようとも。
だがしかし、天は知っている、私の詩が墓場に過ぎず、
君の生命を隠し、君の美点の半分も表せないことを。
君の目の美しさを表現することができ、
新しい韻律で君のすべての美点を列挙することができたとしても、
来るべき世代の人は言うだろう、「この詩人は嘘つきだ。
天上の絵筆が地上の顔など描くはずがない」と。
かくして私の詩の原稿は(古色蒼然となり)、
言葉多くして真実の少ない老人の戯言同様に軽蔑される、
君が受けてしかるべき称賛も詩人の熱狂として片付けられ、
古風な歌の大仰な韻律と言われるだろう。
しかし、来るべき時に君の子どもが生きていれば、
君は二度生きることになる、君の子どもの中と、私の詩の中で。
【私の鑑賞】
私が君のことを詩に書いても、将来誰も私の詩を信じないだろう、
私は君の美しさの半分も描けないのに、それでも後の世の人は言うだろう、
「この詩人は嘘つきだ、この世の人間がこのように美しいはずはない」
と言って、私の詩を老人の戯言とみなすだろう。
しかし、君が結婚して子どもを残してくれたなら、
君の子どもが私の詩を証明してくれることになる、
君はそのとき、二重に生きることになる、
君の子どもの中と、私の詩の中で。
17番は、青年に結婚を勧める一連の「勧婚章」の最後のソネット。