17 君は二度生きる

 

その時が来たとき誰が私の詩など信じるだろう、

たとえその詩が君の最高の美点に満ちていようとも。

だがしかし、天は知っている、私の詩が墓場に過ぎず、

君の生命いのちを隠し、君の美点の半分も表せないことを。

 

君の目の美しさを表現することができ、

新しい韻律で君のすべての美点を列挙することができたとしても、

来るべき世代の人は言うだろう、「この詩人は嘘つきだ。

天上の絵筆が地上の顔など描くはずがない」と。

 

かくして私の詩の原稿は(古色蒼然となり)、

言葉多くして真実の少ない老人の戯言たわごと同様に軽蔑される、

君が受けてしかるべき称賛も詩人の熱狂として片付けられ、

古風な歌の大仰な韻律と言われるだろう。

 

  しかし、来るべき時に君の子どもが生きていれば、

  君は二度生きることになる、君の子どもの中と、私の詩の中で。

 

 

【私の鑑賞】

私が君のことを詩に書いても、将来誰も私の詩を信じないだろう、

私は君の美しさの半分も描けないのに、それでも後の世の人は言うだろう、

「この詩人は嘘つきだ、この世の人間がこのように美しいはずはない」

と言って、私の詩を老人の戯言とみなすだろう。

しかし、君が結婚して子どもを残してくれたなら、

君の子どもが私の詩を証明してくれることになる、

君はそのとき、二重に生きることになる、

君の子どもの中と、私の詩の中で。

17番は、青年に結婚を勧める一連の「勧婚章」の最後のソネット。