私は星を見てものごとの判断をしない、
それでも占星術をわきまえているとは思う、
しかし、吉凶を予言するのでもなく、
疫病、飢饉、気候の異変を占うこともしない。
時々刻々の運命を予言することもできなければ、
いつ何時、雷雨や、嵐が起こるかも予言できない、
また、しばしば天に現れる前兆を読んで
王公が安泰であるかどうかを告げることもできない。
君の眼から私の知識は引き出され、
君の眼という恒星の中に私が読み取るのは
真実と美がともに栄える学術、
それは君が宗旨替えして、君の子孫を残すことだ。
そうしなければ、私は予言する、
君の終わりが、真実と美の終焉であると。
【私の鑑賞】
『リア王』のエドマンドは、「人間ってやつ、ばかばかしさもこうなると天下一品だな、運が悪くなると、たいていはおのれが招いたわざわいだというのに、それを太陽や月のせいにしやがる」(小田島雄志訳)と言って、運命が星に左右される考えを蔑視し、拒否しました。
中世の大学の学術には四学あり、それらは算術、音楽、幾何、天文学で、シェイクスピアの時代、占星術=天文学で、占星術はその意味で科学でもありました。
詩人は星から運命を読むのではなく、青年の目からその運命を読みます。
シェイクスピアは、詩人の目で真実と美を見ています。
そして詩人は断言します。
青年が自分の子どもを作らない限り、真実と美が永遠に滅びることを。