14 君の眼こそ私が占う星

 

私は星を見てものごとの判断をしない、

それでも占星術をわきまえているとは思う、

しかし、吉凶を予言するのでもなく、

疫病、飢饉、気候の異変を占うこともしない。

 

時々刻々の運命を予言することもできなければ、

いつ何時なんどき、雷雨や、嵐が起こるかも予言できない、

また、しばしば天に現れる前兆を読んで

王公が安泰であるかどうかを告げることもできない。

 

君の眼から私の知識は引き出され、

君の眼という恒星の中に私が読み取るのは

真実と美がともに栄える学術アート

それは君が宗旨替えして、君の子孫を残すことだ。

 

  そうしなければ、私は予言する、

  君の終わりが、真実と美の終焉であると。

 

 

【私の鑑賞】

『リア王』のエドマンドは、「人間ってやつ、ばかばかしさもこうなると天下一品だな、運が悪くなると、たいていはおのれが招いたわざわいだというのに、それを太陽や月のせいにしやがる」(小田島雄志訳)と言って、運命が星に左右される考えを蔑視し、拒否しました。

中世の大学の学術には四学あり、それらは算術、音楽、幾何、天文学で、シェイクスピアの時代、占星術=天文学で、占星術はその意味で科学でもありました。

詩人は星から運命を読むのではなく、青年の目からその運命を読みます。

シェイクスピアは、詩人の目で真実と美を見ています。

そして詩人は断言します。

青年が自分の子どもを作らない限り、真実と美が永遠に滅びることを。