我々は、善を愛し、悪を憎まなくてはならない。
なぜなら、悪は悪であり、善は常に善であるから。
だが、どちらともいえないものもある。
それは憎むこともできないし、愛すこともできない、
そういうときには、次から次に試してみれば、
愛すべきか、憎むべきかが分かる。
賢明なる自然の女神が、最初に
善い女と悪い女と決めて作っておれば、
ある女は憎み、ある女は愛すことができるのだが、
彼女はどちらともつかずに作ったので、
我々は愛すことも、憎むことも決めかねる。
残る手段はただ一つ、男全員が女全員を試してみることだ。
女が善いものであれば、見て分かるはず、
善は、緑と同じように、見て分かるもの、
だれの目にも悪は悪として自ずと知れる。
女が悪であれば、長続きはしない、
悪は我が身を滅ぼし、他をも滅ぼす。
だから、女は非難にも称賛にも値しない。
だが、女は果物と同じように、我々の自由にできる、
味見するだけで済ますことも、食いつくすこともできる、
全部残して置くこともでき、思いのままである。
恋人を変えるのも、果物の種類を変えるようなもの、
果肉を食べ終わって、
皮を捨てない馬鹿はいない。
【訳注】
原題:’The Community’
ページトップへ
|