16 恍 惚 ジョン・ダンの部屋

 

ベッドの上の枕のように、

盛り上がって膨れた土手に

菫の花が頭を傾げている処で、注:1

愛し合う僕たちは、座っていた。

 

二人の手は、滲み出る

香油で固く結ばれ、

絡み合う二人の視線は、二人の目を

一つに結び、二重撚りの糸にした。

 

僕たちの手と手を結び合わせたところで、

二人が一つになるための手始めに過ぎない。

二人の瞳に互いの絵姿を映すのは、

せめてもの二人の増殖でしかない。

 

拮抗する二つの陣営の狭間では、運命の女神も

勝利を定めがたいように、

僕たちの魂も(状況を打破せんものと、

打っては出たが)、二人の間で立ち往生。

 

そこで二人の魂が交渉している間、

二人は墓石の像のように横たわっていた。

一日中、同じ姿勢のままで、

一日中、何も言わなかった。

 

愛の力によって清められた人がいて、

魂の言葉を理解することができ、

愛の力で全身精神となった人が、

折り良く、近くにいたならば、

 

その人は(二つの魂が同じことを意味し、

同じことを話すので、見分けがつかないとしても)

浄化を新たにする薬を得て、

来た時よりも清くなって戻って行くだろう。

 

この恍惚が謎を解き、二人が愛しているものが

何であるかを教えてくれる(と僕たちは言った)。

二人の動機が、性ではなく、

何かほかのものだと教えてくれる。

 

すべてのそれぞれの魂は、

何であるか分からない多くのものを含む混合体。

愛は、この混合された魂をさらにかき混ぜ、

あれこれの区別なく、二つを一つにする。

 

一本の菫の花も移植すれば、

強さも、色彩も、大きさも、

(以前は、貧弱で、乏しかったものが)

二倍にも、三倍にもなる。

 

愛も、二つの魂を一つにして

生命力を倍にすれば、

新しく生まれ出た魂は強くなって、

孤独の淋しさに耐えられる。

 

こうして新しい魂となった僕たちは、

二人がどんなものからできているかを知っている。

というのは、僕たちを作り上げている原子は、

どんな変化にも侵されない魂だから。

 

だが、どうしてこんなにも長く、

僕たちの肉体は耐え忍ばねばならないのか。

肉体は僕たちそのものではなくとも、僕たちのもの。

僕たちは霊であり、肉体は天体。

 

僕たちは肉体に感謝する。というのは、肉体は、

このように、はじめて二人を引き合わせ、

僕たちに力と感覚を譲ってくれたのだから。

肉体は、滓(かす)ではなく、合金である。

 

天の力も、まず大気を身に付けた上で、

人に作用を及ぼすのであり、

魂も同じように、まず肉体に赴き、

次いで魂へと流れていく。

 

僕たちの血は、できるだけ魂に似せた

霊気を産み出そうと、産みの苦しみ。

なぜなら、そのように巧みな指が精巧な結び目を

結ぶことで、僕たちは人間となれるからだ。注:2

 

同じように、純粋な恋人たちの魂も、

感覚が到達して把握できる

感情や気質にまで降りていかねばならない。

そうしなければ、偉大な王様も牢にいるも同然。注:3

 

だから僕たちも肉体に戻ろう、そうすれば、

信仰の薄い者にも神の教えの愛を見ることができる。

愛の神秘は魂の中で育ち、

肉体はその教本である。

 

誰か僕たちのような恋人が、

一人で語るこの対話を聞いたなら、

気を付けて見るがいい、そうすれば、僕たちが

肉体に戻っても、少しも変わらないのが分かるだろう。

 


【訳注】

原題:’The Ecstasy’

『唄とソネット』の中で最も長い詩。コールリッジによって高く称賛された詩。

 

注:1 菫の花は、愛と誠実の表象であるとともに、感覚的な官能を誘うもの。

注:2 スコラ派の形而上学では、人間は本質的に肉体と魂という異なる成分の混合体であり、肉体と魂は、血液が発散する霊気と呼ばれる蒸気によって必然的に結ばれると信じられていた。

注:3 「牢にいるも同然」は、プラトン的な伝統的な考えでは、魂は感覚によって肉体の中に閉じ込められていると考えられていたことによる。

 

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ジョン・ダン全詩集訳 宗教詩