二度か三度はおまえを愛したこともあった、
それはまだお前の顔も名前も知らない時だった。
同じように、声となり、形のない炎となって、
天使は僕たちを愛して、崇拝を受ける。
おまえのいるところに行くと、いつも
見えるのは、美しく神々しい無であった。
だが、僕の魂は―魂の子どもである愛は―
肉体の手足となる以外には、何もできなかった。
親より精妙になることなど
愛にできるはずもなく、同じように肉体を帯びるしかない。
だから、おまえが何者で、誰であるかを
愛の女神に命じて尋ねさせた。それでいま、
僕の許しを得て、愛はおまえの体をまとい、
おまえの唇、瞳、額に、愛そのものを固定した。
こうして愛を底荷に積み込めば、
もっと安定して進むと思ったが、
賛美の的まで沈めてしまうほどの積み荷で、
愛の小舟を積載過剰にしてしまった。
おまえの髪の毛一本でも
重すぎるのであれば、別の相応しいものを捜さねばなるまい。
なぜなら、無にも、極端なものにも、
光り輝くものの中にも、愛は住みつくことができないのだから。
だから、天使が、空気ほど純粋ではないまでも、
それでも純粋な空気(注:1)の顔と翼の姿をもって現れるように、
おまえの愛も僕が愛する天空のようでなくてはならない。
まさにそのような不均衡が、
空気と天使の純粋さの差と同じように、
女の愛と男の愛の間には、常についてまわるのだ。
【訳注】
原題:’Air and Angels’
注:1 「それでも純粋な空気」は、スコラ派の形而上学では、空気は元素の中で最も純粋なものとされていた。
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