君の一生が、僕の一生と同じように、束の間のうたたねで、
この詩を読みながら、僕を夢に見ていると思うようであれば、
かのモルペウス(注:1)やその弟は
思いのままの姿をとることができたが、それでも
この僕の手紙が僕そっくりであるほどにはなれなかった。というのも、
この手紙は、僕の名前、言葉、手、足、心、頭、智恵を備えているからだ。
これは僕から君への贈り物、
僕の遺書であり、僕自身の形身でもある。
僕は君の隠遁生活を愛し、羨ましくも思っている。
それは君の賢明な思慮から生まれたことだった。
君のいるところへ行くことはできないが、
こうして僕の真心を送ることができることを嬉しく思う。
恋に悩む者が心を込めて
自分の絵姿を離れた恋人に送るように。
すべての知らせが僕より君の処に速く届くだろう。
港は天国であり、船は翼のある天使だ。
だがそれらは福音であるとともに、仮借なき脅威をもたらす。
ギアナの収穫(注:2)は春のうちに摘み取られてしまった、
と心配している。運命は(僕にはそう思えるのだが)、
神がユダヤの指導者にしたように(注:3)、我々を取り扱っている。神は
彼に豊かな土地を示したが、入ることは禁じた。
ああ、ぐずぐずするのは我々の罰でもあり、罪でもある。
このスペインでの仕事(注:4)が片付けば、
月と太陽の間にあって、地球が光を蝕するように、
ギアナが与える光を遮るこの懸案が片付けば、
中断していた希望も甦るだろう。
だが(すべてのものはそうなる運命)希望が霧散すれば、
インドこそ全能の美徳ではないか。
人間が小宇宙であれば、すべての人に
世界の富すべてに対応するだけのものが
分け与えられていることになる。そして善良なる人にある
美徳こそ、我々の形の中の形、魂の中の魂である。
【訳注】
R. W. 氏はローランド・ウッドワード(1573‐1636/7)のことで、1590年代初めのリンカンズ・イン当時からの親友の一人で、ダンのもう一人の親友であるサー・ヘンリー・ウォットンとともにダンの詩を収集するのに務めた。
この書簡詩は1596年から1597年初めにかけての出来事を語っており、ウォルター・ローリーのギアナ遠征の要望に対して女王がそれを阻んでいる。イギリス艦隊は1597年夏、ギアナ遠征の航海に向けてプリマウスに集まり、女王の認可を待っていたが、女王は、その期待に反してスペイン本土の攻撃を命じた。
注:1 モルペウスは ギリシア神話の「眠りと夢の神」で、人間の姿になることができた。
注:2 「ギアナの収穫」については、1595年、ウォルター・ローリーはギアナを探検し、翌1596年に『ギアナの発見』として出版された。その中でローリーは、地上の天国を植民地化する好機であることを述べている。
注:3 「ユダヤの指導者」にしたようなこととは、「主はモーセとアロンに向かって言われた。あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」(『民数記』20章12節)。
注:4 「スペインでの仕事」とは、スペイン北西部のエルフェロルと、アゾレスにおけるスペインとの戦いで、そのことによってギアナの植民地計画は阻止された。
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