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1614年8月

 

美しく、偉大で、善良なお方、あなたを見ることで私たちは、

天に何ができ、地に何ができるかを知ることになります。

あなたの美しさが輝く今、太陽は

霞み、その価値も下がりはて、

乱れた光線や拡散した炎は、

恋人たちのソネットの中でご婦人方の鬘や髪飾りの用に

役立つに過ぎません。あなたがこの世に現れたのは

神の創造物の書物を書き改め、何が美しいかを教えるためでした。

今や、すべてのものが枯れはて、縮み、干からび、

あらゆる美徳は潮が引くように消え去り、

世界の骨組みはすべて砕けて砂と化し、

すべての人が自分の力で立っていると思っている処、

正直、友情、信頼は、

(これらは偉大さを固めるセメントですが)霧となってここから消え、

心の狭い者は、分け前に与ることもほとんどなく、

宮廷、都市、教会は、小間物問屋となりはて、

高貴な炎は、火花となってみな吹き飛んでしまい、

金塊は、引き伸ばされて線材となり、

卑小な愛によって試され、すべてが

縮小され、小さく引き伸ばされて、

私たちの元の姿である、無と化します。

このような時代にあなたが現れたのです。

あなたの偉大さによって私たちが学んだことは、無限なる者に近づくためには、

まず自分が偉大にならなければならないということです。

邪悪の時代には誰も

責める資格はなく、それを正すこともないので、

(すべての人が同じように罪のある時代には、

誰が裁き、証人となることができるというのでしょう)

善良であることを望む人は、誰からも

怪物か、夢想家だと思われます。

それなのにあなたは今、あえて善良であろうとします。

あなたを見つめることで私が知ったのは、

あなたの光、偉大さ、美徳を理解することを通して、

美しさ、偉大さ、善良にも程度があるということです。

この私の捧げものの中に、少しでもそれらの火花が見えるとすれば、

それはあなたのものであると言って下さい。

これと同じようなことを、私の口から他の人について

言ったことがあったとしても、偶像崇拝と呼ばないでください。

もし神様が最初に人間を造り注:1、人間が

三日目に造られた果実、花々、さまざまな草木を見て、

その日のうちに造られた美しい創造物のなかで、

それらが最高のものであると言ったとしても、

また、翌日には、太陽や、月、星々の誕生を、

前日に称賛した地球より美しいと感嘆し、

最高のものであると言ったとしても、

昨日誉めたことで叱られることはないのです。

同じように、二つがともに正しいと言えないようなことでも、

別の人を最高だと言っておいて、次には、あなたが最高である

と言ったからといって、その人を非難してはなりません。

彼がそう言った時点では、それはともに正しかったのです。

その立派な証拠は、私たちの魂の成長の過程にあります。注:2

私たちはまず成長の魂をもち、次に感覚の魂をもちますが、

最後には不滅の魂がやってきて、

一つに呑みこんでしまい、名前を失います。

成長と感覚の魂に与えた力と称賛を、最後の魂に投げ与えても、

二つの魂を傷つけることにはなりません。

同じように、私は何も悪いことはしていません。私は今も

同じものを褒め称えているのです。私が以前称賛したものは、

主題が変わり、程度が変化したのです。

身分の低い治安官であっても、王様であっても、

同じように敬います。私に働きかける力は変わりません。

美しさ、偉大さ、善良の程度の違いはあっても、

同じように恭しく敬ってきましたが、今は

それらが歩いている姿ではなく注:3、その館を見つけるために来ました。

最初の二つの魂に私は感謝します。その二つの魂が

最後の魂にふさわしい土塊に私を造ってくれたので、

私はそれらの負債者となり、それらの価値で

私は得をし、この新たな偉大な教訓を得ることができ、

あなたを学ぶことを知ったのです。

他を学ばずして、初めからあなたを知ることはできません。

この書物を読むのに光にこと欠きません。私が

暗い洞窟の中、墓のなかに横たわっていても、

あなたは、あなたの連れの天使たちのように、

あなたを知るためにやって来る者を導いてくれます。

私たちの歴史の中で最初に

すべての学芸を広めた人物は、盲目で生まれた人でした。注:4

彼は、動物や私たちと同じような眼は欠いていましたが、

天使を見る眼や、天使が見る眼を持っていました。

同じように、私も生きる術の眼を持たずに生まれてきましたが、

眼の見えない幸運の女神が授けてくれた眼注:5は、

輝かしい宮廷やあなたを見るのにふさわしく、

こうして今、あなたを見ることができるのです。

その眼ですべての善なるものを見分けることができるので、

私の蔵書を焼いてしまっても、学ぶことができます。

 

 

【訳注】

ソールズベリー伯爵夫人は、1608年、2代目ソールズベリー伯爵、ウィリアム・セシルと結婚したキャサリン・ハワード夫人で、ダンとの関係は知られていないが、1613年に彼女の姉であるフランセス・ハワード夫人とサマセット伯爵の結婚に当たって祝婚歌(『サマセット伯爵の結婚式に当たっての婚礼祝歌』)を書いている。1614年までソールズベリー家に仕えていたダンの友人ジョージ・ガラードに、夫人への推薦を感謝する手紙(1612年3月(?)パリから)が残されていて、それには夫人を称賛する詩を書く務めが自分には不適切だと訴えている(エドマンド・ゴスの『ジョン・ダンの生涯と手紙』p. 294-5)。

 

注:1 植物が造られたのは三日目であるが、人間が造られたのは六日目で、天に光るものを造られたのは、四日目のことである。(『創世記』1章11節以降)

注:2 アリストテレスは、成長、感覚、理性の三つの魂の過程を説いている。

注:3 「それらが歩いている姿」とは私が以前称賛した女性たちのことで、「その館」はソールズベリー夫人を比喩する。

注:4 盲目で生まれた人とは、ホメロスのこと。

注:5 女神が授けてくれた眼とは、心でものを見る眼(心の眼)。

 

 

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ジョン・ダン全詩集訳 書簡詩