34 アミアンから ケアリー夫人とエセックス・リッチ嬢への手紙 ダンの部屋トップへ戻る

 

 

奥方様、

この地では、あらゆる人々がすべての聖人の加護を祈るので、

一人だけ選べば分離主義者となって、

世間一般の慣習に逆らうことになります。

 

しかし、聖人たちに対する祈りで、私の献身を

あなた以外の聖人に向けることは、

分離主義に異端を重ねることになります。

 

私は冷淡な改宗者のように

そのことを隠しておきたいとは思いません。大胆過ぎるようですが、

ここの市場注:1では免罪符は安く売られています。

 

ここでは信仰は低く見積もられていますので、

信仰だけによって見えることを話せば、

私は自分を使徒のように思えることでしょう。注:2

 

つまり、あなたについて語ることです。あなたは美徳の

恒久不変の天空であり、増えることも減ることもありません。

美徳はあなたの実体そのものであり、飾りではありません。

 

私たちが徳のある人と呼んでいる他の人々は、

全体的な実体がそうであるのではなく、その徳は

彼らの気質に散在するだけで、時折それが現れるだけです。注:3

 

たとえば、無味乾燥で平板な謙虚さによって

生焼けのパンのような男に、無害という徳を見ることがありますが、

それは彼の粘液質の気質によるもので、彼そのものではないのです。

 

また、血液にも時に同じことが言えます。

頼まれもしないのに危険に向かって走り出す人は、

多血質の徳としか言いようがありません。

 

また、僧院に引き籠った人は恐怖を口実に、

この世に対するすべての貢献を差し控えていますが、

彼らの徳は黒胆汁質にあり、他にはありません。

 

宗教上の怒りをぶちまける批評家たちは、

すべての宗教に欠点を見つけ、どんな過ちも許しませんが、

彼らの徳はこの激情からくるもので、胆汁の中にあります。

 

このように私たちの徳は部分的に鍍金された徳でしかなく、

徳が魂の本質である時にはじめて本物の金となります。

自分の徳の名前や場所を知る者に、徳はありません。

 

継続性のない個別の徳は、瘧(おこり)のようなもので、

発作的に目覚め、周囲の状況に左右されるものです。

真の徳とは魂であり、常にすべての事においてすべて徳なのです。

 

この徳が、あなたの魂に権威を加えようとしましたが、

そこには何も欠点を見出しませんでした。

あなたの魂は、美徳そのものであったからです。

 

そこで徳は、あなたの魂に劣らない肉体に働きかけ、

できる限りのことをし、

あなたの美しさをも徳に変えたのです。

 

その結果、あなたの美しさは他の人のように、

神聖を汚す官能的な投げ矢で心を傷つけることはなく、

心に徳を感化したのです。

 

しかし、このように友人たちがあなたをお目にすることで、

かくも大きな光明を得て、

あなたの徳とその力に与れるのであれば、

 

感化が及ぼす力をどう考えればよいでしょう、

感化に共鳴し、その中身も

あなた同様に、徳と美からなる人の場合には。

 

それは、あなたの気高くも尊い妹君のことです。

彼女について、あなた方お二人の恍惚と

啓示のなかに見えるものを、

 

ここに書こうとすれば、短い回廊を長く見せるために、

主人が突当りに大きな鏡を据えて、

私たちの目に倍の長さに見せようとするようなもので、

 

私も同じようにこの手紙を引き延ばすのに、

あなたについて言ったことを、繰り返すしかありません。

いずれも、どちらにも当てはまるからです。

 

それゆえ、この手紙が、追従ではなく、

私の真心をお伝えするのに十分であることを願う次第です。

己を信じるものは、決して嘘はつかないものです。

 

【訳注】

ケアリー夫人とエセックス・リッチ嬢は姉妹で、ロバート・リッチ卿とその最初の妻ペネロープ・デヴルー(フィリップ・シドニーのソネット『アストロフェルとステラ』のステラで、シドニーが純愛を捧げた女性)の娘。ダンがこの詩を書いた時、二人に面識はなかった。二人の兄であるロバート・リッチ卿が1612年1月にアミアン(フランス北部の都市)で過ごしていた時、ダンもドルリー家の一行と滞在していてその時に二人の詩を書くことを依頼されたものと思われる。この詩はダンの自筆の詩で唯一残っているもので、1970年6月のサザビーのオークションで発見された。

 

注:1 「ここの市場」とはカトリック教徒の国のことで、カトリックの「免罪符」の売買はプロテスタントにとっては罪なことである。

注:2 プロテスタントは信仰のみが人を救うと考え、カトリックは善行が必要だとする。

注:3 「気質」は中世の時代、粘液質(無感覚、冷淡)、血液(生命、情熱)、黒胆汁質(憂鬱、沈思)、胆汁質(怒り)の4つの体液からなると考えられていた。

 

 

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ジョン・ダン全詩集訳 書簡詩