奥方様、
あなたが私を清めて下さったことで、私には今分かりました、
最も尊いもの(美徳、学問、美しさ、幸運)の価値は、
珍しさや、効用にあって、生まれつきの性質にあるのではないと。
そういったものは周囲の状況に左右されます。
二つの悪の一方を選ぶのに迷ったからといって、罪の言い訳はできません。
しかし二つの善のうち、どちらか一方を選ぶことは許されます。
ですから、美徳の住む場所ではない宮廷では、
(あなたの美徳は卓越して高いので(私は低いがゆえに)
あなたは存在されず、見られないのです)。宮廷では例のない
あなたの美徳が、私に詩を書かせます。
難解な書物には注釈が必要なように、美徳にも
「これが美徳です」と教えてくれる人が必要です。
田舎ではあなたの美しさが、宮廷でのあなたの美徳と同じ働きをします。
この場所では(注:1)、(奥方様)あなたは季節であり、太陽です。
あなたのお顔が花の香りを発散させ、固く閉じた蕾を
開かせるまで、ここは香辛料の墓場(注:2)に過ぎません。
あなたがいなければ、未亡人となって引き籠り、蕾は香りを閉じてしまいます。
太陽がブラジルを照らす時の中国のように。
あなたが馬車から降りられると、夜が朝となって、
二つの計算法(注:3)が狂ってしまいます。
あなたの光からここに新世界が生まれ、
あなたから新たに造られた私たちは、新しい計算法で進みます。
このことで明らかなのは、あなたが自然の道を踏み外すのを嫌い、
人工の昼間を認めないということです。
このようにしてあなたは宮廷を田舎の対蹠とし、
あなたの代理人である俗界の太陽に、
世俗的な秋の役割を命じられたのです。
その間こちらでは、私たちは捧げ物をする者としてあなたのもとへ駆け寄り、
僧侶やオルガンとなってあなたに仕え、
あなたの力を讃え、あなたが命じることを伝えます。
しかし、私はあなたの中に宿る神様である
美徳の魂に、いま捧げ物をするつもりはありません。
これは嘆願書であって、讃美歌ではありません。私はただ、
建物を見せて下さいとお願いするだけです。
すべての宗教において、内部の儀式同様、
寺院の外観や美しさに注意が払われています。
ローマに行く人たちがみな、
宗教を崇め、最善なものを固く守るわけではなく、
宗教が美しく着飾っているものだけを見て、
話の種にしたり、好奇心を満たしたりするのです。
諸学派の紛糾する議論の迷路を避け、
学者は愚か者だと考えるのが賢明です。
この巡礼の旅では、美徳の寺院としてあなたを
見つめたいと思います。美徳そのものではありません。
どんな華奢な水晶の壁が美徳を包み、
どんな目、手、胸が美徳の清い祭壇であるか、
そういったものを見た後で、礼拝堂を礼讃する者たち全員に、
あなたこそエスコリアル(注:4)だと反論してやります。
しかし、神聖なものとしてではなく、ただ単に美しいものとして、
こういったものに、俗人の田舎者の目を注ぎます。
珍しい過去の歴史や、未来の物語について、
あなたはすべて記録し、予言しています。
運命の書から、悲しい物語や罪の伝説を
一掃すれば、それがあなたとなります。
善と美が一つであり得ないとすれば、あなたは
その両方の、写本であり、原本であって、
善と美の元素、両親、成長は、
あなたのすべての部分であり、そのすべてが善と美です。
あなたの行いはすべて完璧で、あなたは
常に同じことを繰り返すだけで、二つのことはできません。
しかし、これらの言葉は(取るに足りない浅薄な神学でも
異端を煽ったり、抑えるのに役立つことがあるように)
詩的激情や、追従の味がしますが、
すべての心が一つの真実を語る場合には必要ないのです。
新しい証拠や新しい文句から、新しい疑いが生じ、
奇妙な衣裳を着ると、知人たちは避けて行きます。
ですから、凝った誉め言葉や、高等な理性に訴える真似は
すべて止めにして、感覚の裁定を真実と認めます。
鉱脈も、宝庫も、共和国も、美の物語も、みな
このトィックナムの中と、あなたの中にあるのです。
一つを見れば、両方を見たくなります、それは
天国にいれば、天使を見たくなるようなものです。
【訳注】
注:1 この場所とは、ベッドフォード伯爵夫人の館があるトィックナム・パーク。
注:2 香辛料は、愛情や豊饒の象徴でもある。
注:3 二つの計算法とは、1日の長さを自然のサイクルの24時間と、日の出から日没までを1日とする計算法の二つ。
注:4 エスコリアルは、スペイン王フィリペ2世の命によってマドリッド近郊エスコリアル村に建設された(1563−84)大建築で、王宮・歴代王の霊所・礼拝堂・修道院などからなる代表的なルネサンス建築。
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