人間は、あらゆる動物を捏ねて拵えた塊で、
智恵が、人間をすべての動物が仲良く暮らす方舟に変える。
愚か者のなかでは、これらの動物たちが争っているが、
他の人から見れば慰み事であり、見世物である。
人はそれから逃れられないだけでなく、自ら動物たちの餌食となり、
人としての人間性すべてが食いつくされ、
今では彼の動物たちは共食いを始め、
しかも怒りながら交尾し、新たな怪物を産み出している。
なんと幸福なことだろう、動物たちに適当な場所を与え、
自分の心の森を開墾して畑に変え、
自分自身を柵で囲い、動物たちを中に入れず、外に出し、
動物たちがいたところに種を播いて、収穫を頼みにし、
馬、山羊、狼などすべての動物を使いこなし、
自分は他の人からロバだと見なされないような人は。
そうしなければ、人は豚の群れとなるだけでなく、
彼らを狂気に駆り立て、いっそうひどい状態にした
悪魔ともなってしまうのだ。(注:1)
人間は神の最も重い呪いにさらに罪を重ねることができる。
魂は(言うなれば)肉体に最初に触れた瞬間から
原罪の毒の色素に染まっているが、
それと同様に、神が下される罰に対して、
我々がそれを不安に思う気持で痛みを感じる。
神は、雛鳥に与えるように、我々に食べ物として
ヘムロック(注:2)を与え、我々は人間としてそれを味わう。
我々人間は、神が食用に意図したものを
腐食、酷寒、酷暑の成分を加えて毒性に変えた。
神は、我々がどのような作用で殺されるのか分からない
ような特殊な毒を持っているのではない。神の怒りは
どんなに激しくても憎しみはなく、食物にならなくとも、
少なくとも薬としては役立つものである。
人間は、自分の喜びであるべきところ、自分の鞭となり、
自分の神となるべきところ、自分に対して悪魔となる。
そこで我々のなすべき仕事は、堕落以前の
本来の性質に戻すことである。我々は
人間を小宇宙に見せようとする者に欺かれている。
どんな形を人間に与えても、それが必要以上に大きいということはない。
というのは、人間はすべてを内包することができるからだ、
信仰が飲み込み、理性が噛み砕くことができるすべてを。
満たされるもの、満たすものすべて、
この丸い世界すべてが、人間にとっては丸薬に過ぎない。
この丸薬はすべての人に効くわけではなく、
ある人には毒であり、別の人には下剤であり、強心剤である。
というのは、知識はある人には高熱を招き、
別の人には氷のような阿片となる。
君は以前からよく、人間についてよく知っている
と公言しているが、それは大胆にして正しい。
その公言が信じるに足るのは、君があらゆる尊い書物に
通じているだけではなく、今では君がその一冊であるからだ。
行動こそ著者である。君の行動に
君の友人たちは日々新しい市場を見出すのだ。
【訳注】
エドワード・ハーバート(1583‐1648)は、マグダレン・ハーバート夫人の長男で、詩人のジョージ・ハーバートの兄。彼自身詩人であり、哲学者、軍人、外交官でもあった。1603年にジェイムズ1世からナイトに叙せられ、1629年にチャーベリーのハーバート卿となった。ダンの詩はハーバートの長詩The State-Progress of Ill (1608)への返しと思われる。
ハーバートは、1610年の夏、30年戦争のさきがけとなったプロテスタントの諸侯と皇帝との間における戦争で、低地国のジュリアーズ包囲で、オレンジ公を援助するイギリス軍に参戦した。
注:1 「豚の群れ」は、イエスが悪魔に取り憑かれた病人から悪魔を豚の群れのなかに追い出すと、その豚の群れは崖から湖へと飛び込んだという『マタイ伝』8章28‐32節による。
注:2 ヘムロック、別名「毒ニンジン」は、鳥にとっては栄養物として考えられていたが、人間には毒であった。
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