ここには美徳もなければ情報もない。
情報のことならカディスやセント・マイケル(注:1)の話をした方がましだ。
ここでは悪徳が蔓延している、ということを話すよりは。
あちこち歩き回るのは、食欲を増進するためであり、
汗水流して働くのは、休息を楽しむためだと言うように、
忌み嫌うために、宮廷や街中をうろつくと言えば、神も眉をひそめるだろう。
ここで最悪な悪徳の汚名から逃れられるのは
ほかでもない、
隣にいる者の方がさらに悪いことをしているからである。
この世の戦いでは、(神の代理人である)
仮借なき運命に徹底して憎まれる人たちは、
宮廷の軍団に完全武装して参加しなければならない。
無知からくる正直という鎧をまとって、
祈れば願いは叶うという純真な誠実だけで立ち向かえば、
インディアンがスペインの軍団と戦うようなのである。
大胆に疑ってみることこそ、この場所にはふさわしい。
話すよりは聞き耳を立てる方がよい。
他人の悪は暴き、自分の罪は認めぬことだ。
貴兄よ、疑うなかれ、僕のきらびやかな青春時代には、
宮廷に似ていると言って芝居を褒めたものだが、
芝居が宮廷に似ていた以上に、今では宮廷が芝居に似ている。
だから僕らはこの物真似の道化役者どもを笑ってやろう。
彼らの深慮遠謀や、これ見よがしの所作は、
将棋ゲーム(注:2)の退屈な教訓に過ぎない。
だが、この際に笑うのは場違いだ。
だからこのくらいにして、しばらくの間お別れだ。
宮廷にて。宮廷から離れた処から、とした方がふさわしいのだが。
【訳注】
ヘンリー・ウォットン(1568-1639)は、法律家、外交官、宮廷人で、詩人でもあった。ダンとはオックスフォード大学で一緒であり、エセックス伯の秘書となって1596-7年のカディス遠征に参加。1604年にヴェニス大使となり、1624年にはイートン・カレッジの学長となった。ウォットンがナイトに叙せられたのは1603年でこの詩の時点ではナイトではない。
この書簡詩には、稿によって「宮廷からヘンリー・ウォットン卿に宛てた手紙」、「1598年7月20日、H. W. 氏へ、宮廷にて」などの題名が付されている。
注:1 セント・マイケルはアゾレス諸島のこと。ダンとウォットンは1596-7年にカディス、アゾレスの遠征に参加した。
注:2 将棋は作戦を練る必要があることから模擬戦争としての教訓になると考えられていた。
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