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過去を来るべき年の手本として、

新しい頁をめくらず、いつも同じ内容しか読まない者は、

過去に見たものを見、過去に聞いたことだけを聞くだけで、

人生を一つなぎの数珠にしか見ていないのだ。

 

宮廷は、今ある状態から、あるべき姿へと

成長をやめれば、そこで止まって、衰えるのみである。

だがそこに住んでいる者は、そうではない。

絶えず上を目指し、財産を肥やそうとする。

 

同じように君の肉体にも朝があり、昼があるが、

それ以上のものはなく、次に来るのは夜である。

だが、肉体には美しい来客があり、それに較べれば太陽も月も

火花に過ぎないが、その客が新たな要求をしてくる。

 

その客とは気高い魂のことであり、魂は年とともに若くなって、

食欲と消化力が増進していくので、

飢えさせてはならない。そこでとどのつまりに

女のミルクやパン粥で腹を満たしてやろうと考えてはならない。

 

男らしい食事を与えるのだ。君はこれまでに

学校や、戦陣、宮廷といったあらゆる図書館を経験してきた。

だが、君の穀物倉を尋ねてみたまえ。

遊びにかまけて収穫物を食い潰していないか。

 

それを償うつもりがあるなら、今からでも

しばらくここから出ていくことだ。おそらく、外国では

ここほど賢くもなれまいが、それでも

かの地はここに溢れているほどの娯楽はないだろう。

 

外国人になることには利点がある。

習慣に流されず、新しく始めることができる。

さあ行け。どこへ?ここから出るのだ。忘れることができれば、得をする。 

新たな過ちは、それが我々を支配するまでは煙のようなものだ。

 

我々の魂は、その祖国は天国であり、神が父であるが、

堕落の巣窟であるこの世に送り込まれてきた。

だが、魂が懸命に努めれば、

来た時よりも賢くなって帰って行くことができる。

外国に行くことで節約することを学び、自分の鷹を

自分で誉めるのは恥であることを学ぶなら、君の得になるだろう。

君の鷹が空高く舞い上がって小さくなるや、注:1

第一に君が言うのは、鷹は高く舞い上がるものだと。

 

しかしながら、君が持っている神への鋭い味覚を守り、

これまでのように神を愛し、これまでよりも神を恐れることだ。

そして午後になれば、思い出すのだ、

朝の祈りで、君が神に語ったことや約束したことを。

 

虚偽に対しては、喧嘩をする時のように腹を立てよ。

他のことで腹を立ててはならない。だがどうして僕は

君の行いの中で珍しくもないことに触れるのか、

まるで寓話や、果物入れのお盆注:2が説教を垂れるように。

 

そうするのは、君に約束を守らせようとするからだ。

僕は馬に乗って君と一緒にいるつもりだが、君はそこに留まっている。

君は動こうとはしないけれども、僕の想像の中では、

僕と一緒にミッチャムにやって来て、僕の処にいる。注:3

 

 

【訳注】

サー・ヘンリー・グッディァー(1571-1628)は、ダンと絶えず交流のあった親友の一人で、1599年、エセックス伯のアイルランド出征に際してナイトに叙せられた。ジェームズ一世の元では王の私室付き紳士となった。彼の家族はウォーリック州のポールズワースに地所を持っていた。長年ベッドフォード伯爵夫人の家族との親交があり、ダンは彼を通じてベッドフォード夫人に会ったと考えられている。グッディァーはこの詩にもあるように浪費家として知られ、始終金に困っていた。ミッチャムに住んでいたダンを訪問することにふれていることから、この詩は1606年頃の作とみられている。

 

注:1 「鷹が空高く舞い上がって小さくなる」ことを、A.J. Smithはグッディァーが自分の地所を浪費で食い潰していることの比喩に解釈している。

注:2 「果物入れのお盆」には教訓的な文句などが装飾されていた。

注:3 ダンは1606年から1610年までミッチャムに住んでいた。

 

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ジョン・ダン全詩集訳 書簡詩