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三度目の未亡人となり

尼になって引き籠りますと誓う女のように、

僕のミューズは、今は慎み深く休んでいる。

 

彼女は、ほんのわずかな人に、それでも多過ぎるぐらいだが、

もっと立派な学問の種が蒔かれた所に、

恋唄の雑草や、諷刺の茨がはびこるのを示した。

 

詩を書き、詩を愛しはしたが、僕は

一つの学問だけと結婚の約束を交わしたわけではなく、不義にはならない。

善を為さないことは、悪を為すのと同じように悪いことだ。 

 

それは軽く、浅はかなことに思えるかも知れないが、

神が人の行為を投げ入れて測る正確な秤にかければ、

虚栄は罪悪と同じだけの重さを示すだろう。

 

我々の魂が最初に身に付けた白さを汚しても、

信仰と誠実という衣裳をまとえば、

神は、それを生まれながらの純潔と見てくれるだろう。

 

美徳などというものはなく、あるのは宗教だけだ。

賢明、勇気、謹直、正義などというものは名ばかりで、

悪徳を隠す思慮を備えた者ならそんなものには事欠かない。

 

だから我々は自分自身の中に自己を求めよう。

水晶の硝子で太陽の光線を一点に集めれば、

通過する太陽の力をいっそう強めることができるように、

 

我々も自分自身に向けて美徳の火花を吹きつければ、

我々の心臓のまわりにまとわりつく

藁を焼き尽くすことができるだろう。

 

知っての通り、医者というものは

油の中に薬草の効力を溶かし込もうとする時、

それらを静かに寝かせて暖める場所を選ぶものだ。

 

我々も引き籠れば同じ効果がある。

当てもなく至る所をさ迷い歩き、家にいないのは、

自由というよりは、追放という方がふさわしい。

 

我々は自分自身を耕す小作人に過ぎないが、

自分自身を蓄え、繁栄することができたら、

小作料清算の日に備えて貴重な宝を蓄えることができるだろう。注:1

 

自己啓発に努め、自分が納得できる生活をしたまえ。

そうすれば見かけだけの外見に惑わされることなく、

僕が君を愛し、愛されたいと願っていることが分かるだろう。

 

 

【訳注】

注:1 「冨は天に積みなさい。(中略)あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだから」(『マタイ伝』6章20-21節)

 

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ジョン・ダン全詩集訳 書簡詩