1 嵐  ジョン・ダンの部屋トップへ戻る

 

クリストファー・ブルック氏へ

君は僕である(注:1)(それは言うまでもないことである)、

とはいえ君は君にほかならないが、この詩を読めば

我々の航海の様子が分かるだろう。手や目だけでも、

ヒリヤード(注:2)が描けば、下手な画家が描いた絵物語より

価値がある。それで(自慢するわけではないが)

君の判断でこの詩に威厳を添えてもらえれば、

僕の詩もそれなりの価値があるというものだ。

良さを伝えるのが友情のよいところでもある。

我と我が身をイングランドに負っているにもかかわらず、

息子たちが外国に墓場を求めて出ていくことを悲しんで、

(というのも、運不運は成り行き任せで誰も予言できず、

成功と失敗は一つの顔をして同じ方向を向いているから)

その豊かな腹から溜め息を漏らした。

その風は大気の真ん中で大理石のような凍った部屋(注:3)

激しい抵抗に遭ったので、地上へと

吹き戻された。それで風は

港で、我々の艦隊が貴重な時間を潰しては、

保釈料が払えない囚人(注:4)のように沈み込んでいるのを眺めて、

我らの艦船の帆に優しく口づけし、爽やかで心地よく、

まるで内側がくっつくように飢えた胃袋に

食物が入るようにやってきて、帆を膨らませた。それを見て

我々は、サラ(注:5)が自分の腹が膨らんだのを見て喜んだように、喜んだ。

だがその親切は長くは続かず、祖国の人が

友人の供を一日はしても(注:6)、それきり見捨てるようなものだった。

次には、遠く離れて住んでいる強大な二人の王様が、

第三の王様と戦争するために連合するかのように、

南風と西風が一緒になって吹きまくり、

海溝が転げ回るような波が目の前で飛び散った。

この一行を読むより速く、一陣の疾風が、

当たるまでは恐くない弾丸のように、帆に襲いかかった。

最初は突風に過ぎなかったものが、

今は暴風となり、嵐となった。

ヨナ(注:7)よ、僕は君に同情する、そして

嵐が最も荒れ狂った時に君を起こした連中を呪う。

眠りは苦痛を和らげる最も手近な薬であり、

殺すことなく、死の効用をすべて果たしてくれる。

だが、僕は目が覚めた時、目が見えないことに気付いた。

僕も、また僕を教えてくれるはずの太陽も、

西も東も、昼も夜も忘れてしまって、ただ言えることは、

この世が続いているのであれば、今は昼だろうということだった。

何千という我々の立てる音がしていたが、その中で

雷の音を除けば、何の音かは分からなかった。

稲妻だけが我々の光だった。それに

太陽が飲みこんだ海を吐き出すかのような、激しい雨が降った。

ある者は、船室を棺桶代わりに横たわり、

死ななかったことを嘆くかたわら、死ぬのを悲しんでいる。

またある者は、最後の審判の日に、罪を背負った魂が墓から這い出てくるように、

船室から出て姿を現した。

そして、震えながらどうなったか尋ね、

嫉妬深い夫のように、知りたくもないことを聞くのだった。

ある者は、甲板の昇降口に座って、

恐ろしい目つきで、恐怖を恐怖で追い払うかのようであった。

気が付けば、船は病にかかり、帆柱は

瘧(おこり)にかかったように震え、船倉と上甲板は

海水が詰まって水膨れとなり、すべての策具は

張り過ぎて切れてしまった高音程部の弦のようであった。

ぐらつく帆柱から垂れ下がったボロ布は、

一年前に鎖に繋がれたまま吊るされた者のようであった。

我々を守るために置かれた大砲すらも、

持ち場を離れて自由になろうともがいている。

水を汲み出すのに人々は疲れているが、何の役に立つというのか。

海を海に戻しては、また海を吸いこんでいるだけのことだ。

水夫たちの耳は聞こえなくなっている。だが、たとえ

聞こえたところで、何が言えたであろう。

この嵐に較べれば、死は眩暈(めまい)に過ぎず、

地獄もずっと明るく、バミューダ(注:8)も穏やかそのもの。

光の長兄である闇が、この世に対して

長子相続権を主張し、光を天国まで追いやった。

すべての物が一つとなったが、それは無であった。

一様に異常な物がすべての正常な物を

覆い隠していたので、神が

再び「光あれ」(注:9)と言われるまで、昼が来ることはないだろう。

この暴風雨は激しく、また長く続いているので、

君がいなくて死にそうだが、君に来てほしいと思わない。

 

 

【訳注】

クリストファー・ブルック(1570‐1628)は、ダンの親友の一人で、1590年代初め、リンカンズ法学院時代の学友で、1602年、ダンの秘密結婚で花嫁の付き添い役をして投獄された。法律家で詩人でもあり、1604年から1626年の間に6回、議会の議員を務めた。

『嵐』は次の『凪』とともに、ダンがエセックス伯のもとで1597年夏にアゾレス遠征に参加したときのもので、1597年7月5日にプリマウス港を出航した船団が嵐のために数日後に引き返した。

 

注:1 「君は僕である」とは、「友情を通じて二人は一体となる」ことから。(John Donne’s Poetry, edited by Donald R. Dickson, A Norton Critical Edition, 2007; p.49)

注:2 ニコラス・ヒリヤード(1547‐1619)は、エリザベス一世、ジェイムズ一世の宮廷画家で、英国細密画の開祖。

注:3 空中の真ん中の領域は非常に寒く、大理石のように固く凍っていると信じられていた。

注:4 刑罰を務めた囚人は出獄に当たって保釈料を獄吏に支払わなければならなかった。

注:5 サラはアブラハムの妻で、長い間子供が生まれなかったが、年老いてイサクを産んだ(『創世記』18章12節)。

注:6 立ち去る客人に一日供をする社会的慣習があった。

注:7 ヨナはヘブライの預言者で、寝ている間に嵐に襲われ、その責任を取らされ、犠牲として海に投げ捨てられるが、大魚に呑みこまれて陸上に吐き出された。(『ヨナ書』1章)

注:8 バミューダは北大西洋西部の島群で、ハリケーンで名高かった。

注:9 「光あれ」(『創世記』1章3節)

 

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ジョン・ダン全詩集訳 書簡詩