ままよ、もう最後の聖餐を受け、死んでも構わない。私の罪は
まことに深く、私が耐えてきた煉獄の辛さときたら、
あのように恐れられている地獄ですら
楽しいところに思え、その縮図にも思えないほどだ。
私の心は、虚栄に飢えているのでもなく、恋に毒されて
人を見たいとか、人から見られたいと思ってもいない。
嘆願するためでもなく、新調のスーツを見せるためでもなく、
私は宮廷に行った。グレイズ氏が
戯れにミサに出て、逮捕され、
法律が定める(注:1)百マルクの罰金を、厭わず払って
釈放されたように、私も自分の運命を甘受した。
(出かけて行った私の罪を罰として)私が、
あらゆる悪に手を染め、良いことは忘れ、
傲慢で、好色で、借金だらけで、
見栄っ張りで、無分別で、宮廷人同様嘘つきだと思われたのは、
たった一度宮廷に足を運んだからだった。
それで私はこの罰を受けたのだ。
ナイル川の泥土から太陽が産み出した世にも奇妙な生き物(注:2)、
ノアの方舟に乗りこんだどんな動物よりも奇妙な生き物、
アダムでさえ名前を付けるのをためらうようなもの、
多くの考古学者の研究よりも奇妙なもの、
アフリカの怪物よりも、ギニアの珍獣(注:3)よりも、
異邦人よりも奇妙な者たちが、私に迫って来た。
その者は、デイン人の大虐殺(注:4)の時代に生きていたら、
きっとデイン人として殺されていただろう。次に徒弟たちが
異邦人に暴動を起こせば、誰の助けもなく死ぬことになるだろう。
その者は、昼間でも見張り番に無事通してもらえず、
尋問する判事がきっと叫ぶだろう、
「おまえの僧衣にかけて、何者であるか答えよ」(注:5)と。
その男の衣服は粗末で、見なれぬものだった。擦り切れているが、墨染めであった。
上着は袖無しで、かつてはビロードであったが、
今では(下地も見えるほどの)
平織りの絹織物になった。子どもたちの目には、それが
しばらくの間、滑らかな絹に見えても、すぐに何もないと見えるだろう。
この者は旅をしてきたので、あらゆる言語を話すことができ、
諸国の情勢に通じているのは自分だけだと話す。
お国訛りや、諸国の格言を操ってはいても、
話せるのは一つの言語だけである。食べなれない肉が口に合わなければ、
調理でごまかすこともできるし、空き腹にまずいものなしともいう。
それでも、衒学者の惑わすような言葉も、兵士の大言壮語も、
藪医者が使う医学用語も、それに法律用語も、
彼の言葉に耐えるだけの十分な予防には
ならない。しかも彼の言葉に満足しなくてはならないのは、
彼の言葉があかぬけしているからだ。
彼はその言葉を駆使して、未亡人をものにし、借金を棒引きし、
人に謀反を掻き立て、抜け目ない娼婦をも騙し、
王様の寵臣に追従の限りを尽くし、
ジョヴィウスやスリウス、或いは二人を合わせた以上に嘘をつくことができる。(注:6)
その彼が私の名を呼んで、近づいて来た。私は囁く。「神よ、
私がどんな罪を犯したからとて、あなたの怒りの鞭である
この男が私を選んだのか?」 彼が言うには、
「ねえ君、君の判断力を尊重するよ。君は誰が一番
優れた言語学者だと思います?」 私は愚かにも、
カレピーノの辞書(注:7)だと思うと答えた。
「いや、最も優れた学者のことですよ。」というので、ベザ(注:8)と、次に
イエズス会士の数人と、我が国の二つの大学(注:9)の
二人の尊敬すべき人物名(注:10)を挙げた。すると
彼は私を遮って言った。「いや、十二使徒(注:11)だって
立派な言語学者でしたし、パナージ(注:12)もそうでした。
貧乏な紳士だって、旅行や努力をすればこういう人たちを凌ぐ
ことができますよ。」 それから、彼はまるで自分の舌を
売りに出すかのように誉め、驚くべきことを話すので、
私はこう言わざるを得なかった。「あなたが
バベルの塔の煉瓦職人の通訳を務める時代に生きていたら、
塔はきっと建っていたでしょうに。」
「宮廷生活の良さを知っていたら、
君は喜んで孤独を捨てるでしょうよ。」と彼が続けて言うので、「一人でいても
ちっとも淋しくありません。ですが、スパルタの流儀式(注:13)に
酔っ払いの絵を見せて教育するのも、今では流行りません。
アレティーノの描写(注:14)も少しも貞節を教えませんでした。
ましてや、これ以上の悪徳の見本はない王侯の宮廷から、
美徳を学ぶことなどできません。」と答えた。
彼は、リュートの高音部の音程のような金切り声で、「ああ、君、
王様のことを話すのは素敵なことです。」 「ウェストミンスターでは、
寺院の墓守をしている男が
お代を払えばやってくる誰に対しても
我が国の歴代の王様のハリーやエドワード、
王様から王様へと、それにその親戚一同について話してくれますよ。
あなたが耳にするのは王様のことだけ、目にするのも
王様だけです。そこへ行く道は、キング・ストリートです。」と言ってやった。
彼は、舌打ちして叫んだ。「あいつは、卑しく、低俗で、下品な奴だ。
君らイギリス人の話し方はみなそいつと同じだ。
君のフランス人の話しぶりは上品ではないかね。」「私のですって?ご存知のように、
私には一人のフランス人しかいませんが、その者は私に仕えている者です。」
「フランス人は上品に着こなしますよ。私が思うに、
君が着られるのはグロガラム(注:15)だけでしょう。」
「いえ、もっとほかにもありますよ。」 この高飛車な態度から
調子を変えようとしなかったので、彼をからかってやった。
しかし、それは痒みを掻いて痛くなり、鈍刀を研いで
刃先を鋭くするようなもので、却って傷を深めた。
私は(愚かにも)逆らって自分を傷つけてしまった。
私の機嫌を取るために、彼は調子を変えて、
「何か面白いことはないかね?」と聞くので、新しい芝居のことを話す。
彼は私の手を取り、蒸留器のように、
一滴一滴ごとに休止符を入れ、物惜しみして、
私を豊かにするのがいやかのように、
ホリンシェッドや、ホール、ストウ(注:16)が十人束になっても敵わぬほどの、
王家の些細な内情まで知っており、嘘八百を並べる。
彼は、女王様がいつ眉をひそめ、笑みを浮かべられたかを知っており、
抜け目のない政治家がそこから何を汲み取るかも知っている。
誰が誰を愛しているかも知っている。それに、誰が毒殺という手段を用いて
急いで官職を継ごうとしているかまで知っている。
誰が自分の土地を売ってまでして、特許状を請願し、
古鉄、長靴、短靴、それに卵の殻だのの、
売買独占権を得ようとしているかも知っている。少年たちも直に
ビー玉遊びや紐取り遊びをやめて、宮廷人に
賄賂を贈るようになることを知っている。それに我々の誰よりも賢いので、
どの婦人が化粧で素顔を隠しているかも知っている。このように
彼は自家製料理(注:17)をふるまって私を悩ます。私はむかついて、ゲロを吐き、
病人のように青ざめて、気分が悪くなる。それでも
彼はなおも畳みかけてくる。
スペインの来襲(注:18)からアミアンの陥落まで、
すべての国家のあらゆる出来事を、ガロ・ベルギクス(注:19)をまるごと
丸暗記しているかのように話すのだった。
身重の女房が、嫌いな食べ物を見ただけで
産気づくようなもので、私はこの痴れ者の無駄口を聞いて、
溜め息をついては、冷や汗を流した。
私の気分を楽しませるためか、彼の気質がそうなのか、
特務を帯びた密偵のように、何を言おうが
咎められることはないので、高官に対しての悪口を言い始めた。
あらゆる役職を得るために必要な対価を話すかと思えば、
我々の戦争がうまくいかないのは、決断の遅れによるのだと言う。
官職は世襲によるもので、しかもそれは
終身制で、最後の審判の日まで
永遠に続く。そして政府の高官といえば、
海賊やダンケルク(注:20)の連中に肩入れしている。
誰が食べ物に窮し、衣服に事欠き、馬を持っていないか、
誰が娼婦を愛し、男色を好み、山羊と通じているかも知っている。
私の驚きは、キルケ(注:21)の虜となった者たちが、
動物に変えられた時の驚き以上で、自分自身が
反逆者になった気がし、我が国の巨大な法令集(注:22)の中の一つが、
その大きな顎を拡げて、
私を呑みこむのを見る思いがした。彼の話を聞いていると、
梅毒に苦しむ好色家が他人に瘡蓋を移して
自分が良くなるように、私は自分が罪を
被って、彼が自由の身になる思いがした。それで私は
憎悪の限りを示した。しかし、私も片棒を担いでいる限り、
自分の罪と祖先の罪に対して、ありったけの
償いを払わねばならないのだった。そういう次第で、私は力の及ぶ限り、
この受難に懸命に耐えなくてはならない。だが、今や
神の恵みの時が来た。彼は、拷問から逃れるための
罰金を払うことを私に言い出してきた。
「ねえ君、失礼したいのだが」、「いいですとも」と私が答えると、
「いや、銀貨を拝借したいのだが」。私は喜んで
それを身代金として差し出した。だが、バイオリン弾きが
金をもらって行くように言われても、もう一曲、
舞曲をやらなくてはならないように、彼もまた
長々と礼を言っては私を困惑させた。
やっと、彼は行ってしまった。彼が金に困っていたおかげで、
私の銀貨がものをいった。ようやく
彼の感謝の言葉が終わると、私は
(彼以上に不思議なことでいっぱいの宮廷のすべてを見たので)
追訴を恐れて牢獄から逃れる者よりも早く、
取るものもとりあえず、急いでそこから駈け出した。
家に戻ると、健康的な孤独のなかで
私の尊い魂は、宮廷で嘆願しなければならない人々の
惨めな境遇を思いやり、地獄を夢に見た
かの人(注:23)と同じような恍惚感が
私を襲い、彼がそこで見た者たちと同じような人々を
宮廷で見たのだった。いや、それよりもっとひどく、しかも大勢だった。
卑しい恐れは、告訴人より罪人にふさわしいものだ。だから、
誰の奴隷でもない私が、高貴な生まれの者や、成り上がり者の
怒りを恐れる必要などあるだろうか?それに、私の恋人である真理よ、
偉ぶって威丈高の貴族に、おまえのことを裏切れようか?
いや、それはできない相談だ。昨日から
ほとんど全世界を巡って来た
太陽よ、おまえはその旅の途中で、
我々の宮廷の浮き袋を膨らますような、虚栄を見てこなかったか。
私が思うには、蝋細工の庭園(注:24)を
イタリアから運んできて、ロンドン市中に
展示したかの者は、我々の宮廷を侮辱しているのだ。というのも、
そのように派手に塗りたくったものは、精気もなければ、
感覚もなく、我々の宮廷人そのものであるからだ。
実の親であっても、その子はみな庶子ばかりである。
時計は十時を回った。朝から
馬屋に行き、ハンドボールやテニスに興じ、食事を楽しみ、女郎屋に
しけ込んでいた連中もみな、今は二度目の
その日のための身支度をし、群れをなして、宮廷へと
集まる。私までその中にいる(神さま、お許しください)。
彼らの衣裳は、それを買うために売り払った田畑同様、
真新しく、いい香りがする。「その半ズボンは
王様にふさわしい」と大きな声で追従する者がいるが、
次の週にはそれらの衣裳を売るため劇場に持ち込むことになる。
貧窮はあらゆる階層に及んでいる。宮廷人は、
宮廷では舞台同様に振る舞うように思える。我々はみな役者なのだ。
チープサイド(宮廷人は誰も近づかないが)の仕立屋の元帳(注:25)を調べれば、
誰でも、宮廷人の衣裳目録を見つけ出すことができる。さて、
ご婦人方が来られた。コチニール(注:26)を満載した
弱い船がやってくるのを見つけた海賊のように、
男たちがご婦人がたに横付けし、その美しさを誉め上げる。
ご婦人方は、男性たちの機知を讃える。両者は金で買われている。
才気溢れる者が深紅のガウンを着られない理由は、
こういう男たちがお世辞の話術のため才人の機知を買い漁り、
ご婦人たちが深紅に染める赤色の顔料を買い占めるためだと思う。
男は、彼女の美しさは小枝の鳥もちで、彼女の髪は網だという。
女は、化粧ののりを気にかけ、髪が乱れていないか心配する。
かのヘラクレイトス(注:27)でさえマクラインが
戸口で足の先から頭のてっぺんまで身なりを整えるのを見たら笑いだすだろう。
まるで宮廷がモスクであるかのように、
スカートとズボンを揚げ、自分の衣服に告解を求め、
修復不能な服の大きなシミや穴、それに
見逃されるべき微小な羽毛や埃までが、
不義を働いた罪の証であることを告白させるのだ。
それから、デューラー(注:28)の法則に従い、彼の手足の
均衡を調べ、糸を使って、首から足、
腰から腿までの均衡を確認する。
服に一点の傷もなく、円のように完全に釣り合っているのを
確認すると、新米の説教師が初めて
説教に出かけるときのように、気取って
宮廷に入って行き、彼にいささかの善意を払う気もない
婦人を引きとめては長々としゃべり、
あげくは、彼女の抗議に対して抗議すべきでないと抗議する。
ローマであれば、さしずめその抗議で
十人の枢機卿を大審問に呼び出すところだろう。
しきりに「イエスにかけて」(注:29)と囁くので、
執達吏がそれを耳にすれば、マリア様の祈りを口にした罪で
彼を引き立てていくだろう。しかし、
男と女が互いに苦しめ合うのは、その方がよいからだ。
だがここに男と女の両者を苦しめるグロリアスなる者が現れる。
彼は、マクラインとは正反対で、
粗暴、粗略こそ正しい流儀だと称している。
上着は拍車で引き裂かれ、誰に唾をかけようが
お構いなし。悪態をついても自分に害が及ぶことも
ない。「戦争だ、戦争だ」、と叫ぶようにして
駆け込んで来た。その顔色は悪く、まるで
壁掛けの絵にあるキリストを鞭打つ者の顔色のようだが、
それよりひどい顔をして、みなを怯えさせる。
天下御免の道化よろしく人を笑わせては、法律のように命令を下す。
疲れて私はもうこの場を去ろうとするが、
牢獄から刑場に引き出される連中のように嬉しい気分で、
大広間を通り抜けていく(そこにはどういうわけで
七つの大罪の壁掛け(注:30)が掛けられているのだろうか?)。そこで、
チャーリング・クロス(注:31)を玩具にして棒投げに使うほど
図体の大きな護衛兵のアスカパートたち(注:32)に取り囲まれる。その連中は、
物の価値を弁えないのに、女王の家来であることを誇り、
いい暮らしをし、牛肉をたらふく食らい、ワインをがぶ飲みする。
私は見破られたスパイのように震え上がった。知恵と学問の大海
ともいうべき説教師たちよ、あなたたちならこの宮廷の罪の数々を
溺れさせることもできるし、その勇気もある。
私ときたら、小さな小川ほどもないので、
染みを洗い落とすのが関の山だ。私も
マカバイ記(注:33)の著者が示した謙遜にならって、私の作品の価値を
低く評価する。それでも私は、賢明なる誰かが
私の著作を聖典として認めてくれることを願っている。
【訳注】
「諷刺詩 4」は『宮廷の諷刺詩』とも題されている。 スコットランドの詩人、Drummond of Hawthorndenは、この詩を1594年の作としているが、この詩には1597年3月に起こった出来事が述べられており(114行)、その時の作品と思われる(A.J. Smith)。
注:1 1580年の法律により、ミサに出席した者は百マルクの罰金を支払い、ミサを主宰した者は二百マルクの罰金と一年間の懲役が科せられた。百マルクは当時の価値で65ポンドを上回る。
注:2 エジプトの太陽はナイル川の泥土から多くの不思議な生き物を産み出すと信じられていた。
注:3 ウォルター・ローリーは、1596年にギニアの珍獣について述べているが、怪物のような動物以外にも、アマゾン人や食人族などの不思議な人種についても記している。
注:4 1012年、エセルレド無策王の命令によってイングランド全土にわたってなされたデンマーク人の虐殺。
注:5 1581年の布告によって、イエズス会士やその神学生は反逆者であると宣言された。
注:6 カトリック教徒の反宗教改革(宗教改革によって誘発された16‐17世紀におけるカトリック教会内部の自己改革運動)者で、歴史学者、聖人伝学者のPaolo Giovio(1552年没)とLaurentius Surius(1578年没)はプロテスタントから反感を買っていた。
注:7 カレピーノ(1440‐1510)はイタリアの辞書編集者。ポーランド語、ハンガリー語を含む11カ国語の辞書を編集した。彼の名から辞書を意味するイタリア語calepinoが生まれた。
注:8 ベザ(1519‐1605)は、フランスのカルヴィン派の神学者で、1556年、ギリシア語の新約聖書をラテン語に訳した。
注:9 我が国の二つの大学とは、オックスフォード大学とケンブリッジ大学。
注:10 二人の尊敬すべき人物は、1598年からオックスフォード大学のコーパス・クリスティ・カレッジ学長であったジョン・レイノルズと、1589年からケンブリッジ大学ペンブルック・ホール学寮長のランスロット・アンドリューズで、二人は1611年完成の欽定訳聖書の翻訳に尽力した。
注:11 「一同(十二使徒)は精霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(『使徒言行録』2章4節)
注:12 パナージはラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリエル』の登場人物で12カ国語を知っていた。
注:13 スパルタ人は、若い兵士たちに飲酒を思いとどまらせるのに、反吐が出るような酔っ払いの奴隷を描いた絵を見せて忠告した。
注:14 アレティーノ(1492‐1556)はイタリアの諷刺作家で、詩人。いかがわしいソネットを書き、それにジュリオ・ロマーノが卑猥な挿絵を描いた。
注:15 グロガラムは、絹と毛の混紡の粗布。
注:16 ラファエル・ホリンシェッド(1580年没?)、エドワード・ホール(1548年没)、ジョン・ストウ(1605年没)は、16世紀の英国の歴史家でそれぞれ英国の年代記を著わした。
注:17 自家製料理とは、宮廷の内部情報の比喩的表現。
注:18 スペインの来襲は、1588年のアルマダ(無敵艦隊)のイングランド襲撃、アミアン(フランス北部の地方)は1597年3月にスペイン奪われ、その年の9月にはフランスが取り戻した。
注:19 ガロ・ベルギクスは、当時の出来事を記録したラテン語の情報誌。ダンの『エピグラム』の「メルクリウス・ガロ・ベルギクス」の訳注を参照。
注:20 ダンケルクはフランス北部のドーヴァー海峡に臨む港町で、海賊の本拠地があった。
注:21 キルケはホメロスの叙事詩『オデッセイ』に出てくる魔女で、自分の島に引き留めて虜にしたオデッセイの部下たちを豚に変えた。
注:22 巨大な法令集の一つとは、反逆罪に対する法令で、包括的、かつ脅威を与えるものであった。
注:23 地獄を夢に見たかの人とは、『神曲』の著者、ダンテのこと。
注:24 蝋細工の庭園は、イタリア人の人形師によってロンドン市中に展示された蝋で作った人工の庭園だが、それについての当時の記録は何もない。
注:25 チープサイドの仕立屋の元帳には、宮廷人が掛けで買った衣装の代金が記されており、支払いの催促を恐れて、そこに近づこうとしなかった。
注:26 コチニールは、南アフリカからもたらされた高価な紅色染料で、宮廷の婦人たちに珍重された。
注:27 ヘラクレイトスは紀元前500年頃のギリシアの哲学者で、すべての存在物の無常を説いたので、「泣き虫哲学者」として知られる。「万物は流転する」という思想を説いた。マクラインは、架空の人物。
注:28 デューラー(1471−1528)は、ドイツルネサンス期を代表する画家・版画家で、1528年に「人体の均衡について」を発表した。
注:29 「イエスにかけて」とむやみに誓う者は、カトリック教徒として執達吏から逮捕された。
注:30 ハンプトン・コートにはフランドル人によって作られた七つの大罪を描いたタペスリーが掛けられていて、それは現在もなおそこにある。
注:31 チャーリング・クロスは、エドワード一世が1290年に妃エレノアの葬儀の行列順路の最後の地点の印として12番目に建てた十字架。
注:32 アスカパートは、中世の騎士道物語の主人公、ハンプトンのサー・ベヴィスによって退治された30フィートもある巨人で、ここでは女王の護衛兵の大きさを比喩した表現。
注:33 『マカバイ記』は聖書の外典で、マカバイ記の謙遜とは、『マカバイ記 2』の結びにある「もしこの物語の編集が巧みで要領を得ているなら、それはわたしの喜ぶところである。しかし、つたなく平凡であるとすれば、それはわたしの力が及ばなかったのである」による。
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