情け深い同情が脾臓(注:1)から沸き上がる感情を抑え、勇敢な軽蔑が
私の目蓋を腫らす涙を流すことを禁じるので、
笑うことも、罪を嘆くこともならず、賢くなるしかないが、
この積年の病の数々を罵倒することで癒すことができようか?
我々の恋人である美しい宗教は、
信仰とは無縁であった大昔の人々に対して、美徳がそうであったように、
全身全霊を捧げるだけの価値がないとでもいうのだろうか?
天国の喜びは情欲を抑える力がないのか、
昔の人々は、この世の名誉のためには情欲を捨てたというのに。
我々は手段においては昔の人に勝りながらも、哀れ、結末では
劣ることになるのか、そして、おまえの父の霊が
天国で出会うことになる盲目の哲学者(注:2)たちは、彼らの
厳格な生活の美点が信仰に依るものだと見なされるのに、
おまえは、天国への容易な近道を教えられながらも、
地獄に堕ちるのを聞くことになるのか?勇気があれば、それを恐れよ。
その恐れこそ、大いなる勇気、気高い勇気だ。
オランダの反乱軍(注:3)に加勢し、
木の棺桶のような船に身を任せ、
司令官の怒りや、嵐、弾丸の雨、飢えの餌食となるだけの勇気があるか。
海に飛び込み、土牢に入るだけの勇気があるか。
凍結した北廻りの航路(注:4)の発見に
氷を溶かすほどの火のような勇気をもっているか。
サラマンダー(注:5)より三倍も冷たくなって、燃える炉に
投げ込まれた神の子たち(注:6)のように、スペインの焚刑や、赤道の灼熱に耐え、
それらの国々の蒸留器の熱気に我が身をさらしてまで
金儲けのために耐えることができるか。
おまえの恋人を女神と崇めない者には、剣を抜いて戦うのか、それとも
毒舌を食らわすのか。そんなことは藁の勇気に過ぎない。
ああ、絶望的な臆病者よ、おまえは勇敢を装って
おまえの敵と神の敵(神はおまえを
神の世界の要塞の斥候に立たせた)に対したが、このように腰砕け、
禁じられた戦い(注:7)のために、その持ち場を離れるのか。
おまえの敵を知れ。邪まな悪魔は(おまえは
そいつを喜ばそうと必死だが)、愛からではなく、憎しみから、
喜んで自分の全領土をおまえに明け渡すだろう。
この世のすべての部分が衰退し、消えていくように、
おまえが愛すもう一つの敵、この世そのものが
衰退期にあり、おまえがそれを愛すのは、
老いさらばえた娼婦を愛すようなものだ。最後に、
肉体(それ自体が死である)と肉体が楽しむ喜びを
おまえは愛しているのに、おまえの立派な魂、
それは肉体に喜びを楽しむ力を与えるのに、おまえは憎んでいる。
真の宗教を求めよ。ああ、それはどこにある?ミレウス(注:8)は
彼女がここ(注:9)から追い出され、我々から逃げたと思い、
ローマに彼女(注:10)を探し求める。そのわけは、彼は
彼女がそこに千年前にいたことを知っているからだ。
彼が彼女のボロ布を愛すのは、我々がここで
昨日王様が座った王座の布を遵奉するのと同じようなもの。
クランツ(注:11)はそのように派手な恋人の虜にはならず、
ジュネーブ(注:12)で宗教と呼ばれる彼女だけを愛している。
彼女は、飾り気がなく、質素で、むっつりしていて、若く、
人を軽蔑したような態度で、しかも美人ではない。
好色な気質にも色々あって、野卑な野良仕事をするような
田舎娘だけが健康だと主張する者がいるようなものだ。
グレイアス(注:13)はここを祖国にずっと留まっている。
邪で強欲な周旋屋の僧侶や、
目まぐるしく変わる法律が、
我々とともに住む彼女だけが完全である
と思えと言うので、彼は名付け親が差し出す
彼女を抱きしめる。彼は未熟なので、被後見人(注:14)が
保護者から与えられる者を妻とするか、さもなければ
罰金を払うようなものだ。軽率なフリージアス(注:15)は、
すべての女が善人であるはずがないという理由で、すべての女を嫌う。それは、
一部の女は娼婦だと知っている者が、誰とも結婚しようとしないようなものだ。
グラックス(注:16)はすべてを一つのものとして愛している。
お国によって女性の衣裳は異なろうとも、
女性であることに変わりないと考えるからだ。
宗教もそれと同じだ。光が強過ぎれば
目も見えなくなる。だが、他の宗教に心を動かされることなく、
必然的に、ただ一つの宗教、正しい宗教を求め、それだけを
認めなくてはならない。どれが正しい宗教であるか、おまえの父に尋ねよ(注:17)。
彼にはその父に尋ねさせよ。真理と虚偽は
双子のようにみえるが、真理の方が少しばかり年長だ。
懸命に真の宗教を求め、私の言うことを信じるのだ。
最善のものを求める者は、無神論者でもなく、邪教を信じる者でもない。
聖像を崇拝するのも、軽蔑するのも、異議を唱える(注:18)ことも、
おしなべて悪いことだろう。賢く疑え。知らない道で
正しい道を尋ねることは、迷うことではない。
目をつぶったり、暴走することは間違っている。断崖絶壁の
巨大な山の頂上に、真理は立っている。その真理に
到達するには、ぐるぐる、ぐるぐると昇って行かねばならない。
その山の険しい崖が拒むものを、そうやって手に入れるのだ。
努力せよ、死が近づく黄昏時の老いを前にして、
おまえの魂が憩えるように。夜中には誰も働くことはできない、
意に反して後れを取ることにならぬよう、今すぐやるのだ。
困難な仕事も肉体を酷使すれば達成できる。同様に得難い知識も
心を働かせれば得ることができる。神秘は
太陽のように眩しいが、誰の目にも明らかである。
手に入れた真理は手元から離すな。この世は思うほど
悪くはないのだ。神は王様たちに無条件で
憎む者を殺してもよいという白紙委任状を与えたわけでもなく、
神の代理人にしたわけでもない。運命の執行人としただけだ。
惨めな愚か者よ、おまえは自分の魂を
人が作った法律で縛るつもりか、最後の審判の日に裁かれるのは
人が作った法律でではないのに。その時がきて、フィリップや、グレゴリー、
ハリー、マルティン(注:19)がこのことを教えてくれたのだと言えば、
役に立つとでも思っているのか。
この言い訳は反対派にとっても
等しく有力で、双方の言い分となり得るのではないか。
100権力にほどよく従うことができるよう、その限界を知れ。
限界を超えれば、その性質も、名前も変わる。その時に
権力に卑下するのは偶像崇拝でしかない。
権力とは川のようなもの。激流の静かな源に
生える幸運な花も、成長して、立派に咲いても、
その根を離れ、我が身を
荒れ狂う奔流に投じ、
水車小屋を過ぎ、岩を越え、木立を潜り抜け、ついには、
哀れ、海の藻屑となり、消え果てるのだ。
魂も同じようにして滅ぶ。神そのものを信頼するより
神から得たと不当な権利を主張する人を選ぶような魂は。
【訳注】
稿本によっては、この詩は『宗教の諷刺詩』の題名が付けられている。
注:1 脾臓は、さまざまな感情が宿る所とされ、古くは「憂鬱」や「気まぐれ」の意味があった。
注:2 盲目の哲学者とは、禁欲主義のストア哲学者を指す。
注:3 オランダなどの低地国は1568年以来、イングランドの援助を受けて、スペインの統治から自由を求めて反乱を繰り返してきた。
注:4 ダンの時代は大航海の時代で、太平洋への北西の航路の探索がなされた。
注:5 サラマンダーは、神話や伝説で火の中にすむといわれたサンショウウオ。火とかげ、火の精。
注:6 ネブカドネツァル王によって燃える炉の中に投げ込まれた三人の子どもたち(『ダニエル書』3章20節)。スペインの焚刑は、スペインの審問で異教徒に課せられた火刑。
注:7 禁じられた戦いは、その目的が世俗的なもので、神のためのものではない戦い。
注:8 ミレウスには、「香(こう)の臭いのする人」の意味があり、カトリック教徒を表象する。
注:9 「ここ」とは、ヘンリー8世によってカトリックが締め出されたイングランドのこと。
注:10 彼女とは、真の宗教を擬人化したもの。
注:11 クランツには、乙女の棺を先導する形で運ばれ、墓に掛けられる「花輪」、「花冠」の意味がある。ドイツ人かオランダ人を連想させる名前で、ここではカルバン派の信者を表象する。
注:12 ジュネーブはカルビン派の本拠地。
注:13 グレイアスには、ギリシア人の意味があるが、英国国教徒を表象する。
注:14 被後見人は保護者が決めた者との結婚を拒否すると罰金が科せられた。1559年の礼拝統一法で、教区の教会に出席しなかった者に罰金が科せられるようになった。
注:15 フリージアスは、フリジア人を意味する。古代フリジア人は色んな人種に支配され、その結果、色々な神を押し付けられたところから、無神論者を表象する。
注:16 グラックスは、ローマの政治家、社会改良家グラックス兄弟の名前に由来し、すべての宗教を受け入れる多神論者を表象する。
注:17 『申命記』32章7節、「あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。長老に尋ねれば、話してくれるだろう」
注:18 聖像を崇拝するのはカトリック教徒、それを軽蔑するのは反カトリック教徒、異議を唱えるのはプロテスタント。
注:19 カトリックの、スペイン国王フィリップ2世と、法皇の不可謬性と世俗の支配からの超越性を確立した法皇グレゴリー7世または8世(A.J. Smithの説)、或いは8世または9世(Patridesの説)、プロテスタントの、英国国教会の創始者ヘンリー8世、及びマルティン・ルター。
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