2023年観劇日記
 
   世田谷パブリックシアター公演 『ハムレット』        No. 2023-007

「生きてる?死んでる?」で始まり、「死んでる?生きてる!」で終わるハムレット!!

 20年前に、同じ世田谷パブリックシアターで野村萬斎がハムレットを演じ、今度は萬斎のご子息がハムレット、萬斎が亡霊とクローディアスを演じて、新たな『ハムレット』が復活。ジョナサン・ケントが演出した20年前の『ハムレット』もそうであったが、構成・演出と美術、舞台装置の特徴に加え、衣装も見どころの一つであった。
 2003年公演の『ハムレット』の舞台美術について当時の観劇日記を見ると、
今回の『ハムレット』で一番の特徴は、その舞台美術にあるといえよう。ジョナサン・ケント演出の『リチャードニ世』と『コリオレイナス』でも美術担当したポール・ブラウンが今回も担当している。そのコンセプトの核を、『ハムレット』が「pretendの世界」(うわべを飾った世界)と考え、劇世界を一つの巨大な箱の中に入れ込んでいる。箱の表面はトロンプルイユという技法(実物と見間違うほど精細に描写する技法)で絵柄が描かれ、箱の中はマーカートリーという「はめ込み細工」の手法を取り入れて、カラクリ箱のように、場面ごとの中身が入れ替わる。開演前舞台は真っ暗だが、その巨大な箱が日本の伝統的な漆塗りの箱のような感じの色調で、ゆっくりと時計回りに回っている。
とあり、それに対して今回の舞台装置は螺鈿の文様入りの方形で、三階席から見下ろすとそれは陸の孤島のようにも見えるが、舞台正面と左右に土間に通じる階段があり、舞台上の上手側と下手側の両サイドには二階の舞台に通じる階段があり、それは場面に応じて変動するのだが、舞台そのものは二層構造となっている。
 そして、日本の古典芸能を思わせる半田悦子の衣装も注目に値するものであった。
 そのような外面的特徴に加えて、野村萬斎の構成・演出の妙も大いなる見どころであった。
 開演時、暗黒の闇の中、突然、上から何か落ちてきたような音がして、そこへスポットライトが当てられると、舞台上に目をかっと見開いた状態の人物が横たわっているのが見える。そして、闇の中から声がする。「生きている?死んでいる?」と―。
 エンディングでは、死んだハムレットがデンマークの国旗を背景にした二階の舞台へと担ぎ上げられる。この場面では、ノルウェーの国旗を描いた大きな幕状の布で隠されて運ばれるので、ハムレットの姿は見えない。しかし、そのノルウェーの旗が壇上のデンマークの旗を覆いかぶせるように見せるとき、デンマークがノルウェーに併合された印象を残すことで、フォーティンブラスがデンマークの新しい王となることをも表象化するようであった。
 そして、舞台全面が天空となって暗黒の世界に星明かりのきらめく世界となり、ハムレットを乗せた担架がおもむろに星空の天空へと昇って行く―。そして、闇の中から、「死んでいる?生きている!」と、開演時とは逆の順序で同じ台詞が繰り返されることで、この劇が円環構造をなしていることが暗示され、開演時の衝撃と驚きが鮮やかに甦ってくる構成となっている。'To be, or not to be'を具現化して表象しているようであった。
 開幕は、ハムレットの死んだ姿を見せつけた後、舞台は再び闇に包まれ、「誰だ」の声が繰り返し闇に飛び交う。そして、「俺は、誰だ?!」という声が、この劇を何かを暗示する。
 亡霊は能衣装の般若の姿で二階舞台に登場するが、外にも二層構造の舞台を使っての様々な演出に目を見張らせるものがあった。「尼寺」の台詞の場面でハムレットがオフィーリアに美貌と操について語る時、上段の舞台でガートルードがその台詞に身をよじらせるようにして聴き入る姿が可視化されて演じられるのもその一つであった。また、オフィーリアが川に溺れて水死する場面も、ガートルードの台詞に呼応して上段の舞台で、そのオフィーリアが水死する場面を、布を使って小川を表象化して情景を可視化させた。
 登場人物の面白さでは、ローゼンクランツとギルデンスターンの二人がパンチパーマで、眼鏡をかけるなどして双子のように見え、どちらがどちらか見分けがつかず、ガートルードが二人の名前を取り違えて呼んだりし、二人の行動、所作も狂言回し的で道化役を演じ、おかしみを楽しませてくれた。
 劇中劇の場面も様々な工夫があり、見ていて楽しいものがあった。最初の黙劇の場面では人形を使ってセクシャルなきわどい所作をさせたりし、ゴンザーゴ殺しの劇中劇では、前進座の河原崎國太郎座長が演じる王が人形の王妃を抱いて一人芝居で演じ、途中から早変わりで衣装を変化させ、王と王妃の二役を演じ、その台詞回しと衣装と演技が歌舞伎調の芝居を感じさせた。
 この舞台を支配しているのはクローディアスである、というのを最後の場面で見せつける。それは、悪計がすべて露見したクローディアスがハムレットに毒入りのワインを突き付けられたとき、普通は、ここではハムレットに無理矢理飲まされる形となるが、この舞台ではクローディアスがその杯を受け取って、おもむろに階段を降りながら、杯を掲げ、「乾杯!」と声を上げて飲み干すことで、この場の主導権を奪ってしまったように見えた。
 いま一つの見どころ、というか最大の見どころは、20年前に父親が演じたハムレットをその息子が演じるというめずらしさにあるだろう。親子ということでいやでも比較されるであろうし、ある種の期待度もあるだろう。単なる親子が共に俳優であるということだけではなく、古典芸能である狂言俳優であるという点で、その演技、台詞回しに相似性があるのは必然的なものがあり、今回の舞台でもハムレットを演じた野村裕基の台詞回しの一部は、父親の萬斎と瓜二つであった。特に独白の台詞はそうであったが、独白は狂言風な台詞回しで通常の会話ともっと区別するようにしても面白かったのではないかと思った。
 しかしながら、舞台全体を通して見たときハムレットが突出した舞台ではなかったように思う。それは脇を固める登場人物を演じるベテランの俳優たちの演技力もあって、注目度がそちらの方にも向くことが多々あったせいもあろう。
 舞台構造のせいもあって上下左右の動きで、テンポの良い躍動感のある舞台であった。
 途中にアドリブ的な台詞がはいるものの、内容と構成については原作のイメージに忠実な演出であると感じた。
 主な出演者は、主演のハムレットに野村裕基、亡霊とクローディアスに野村萬斎、ガートルードに若林麻由美、ポローニアスと墓堀り人に村田雄浩、レアティーズとローゼンクランツの二役に岡本圭人、オフィーリアに藤間爽子、ホレイシオに釆澤靖起、オズリックや座長に河原崎國太郎、ギルデンスターンに森永友基、ほか総勢14名。
 上演時間は、途中20分間の休憩をはさんで、3時間30分。
 座席は、三階席の最前列で舞台を俯瞰して見下ろす形であったが、舞台が垂直に高く、その意味では全体を見通すにはよかったが、高所恐怖症の自分には途中、下に吸い込まれそうなめまいを感じる不安があった。
 チラシには予定が記されていなかったが、終演後、野村萬斎と世田谷パブリックシアターの芸術監督白井晃のポスト・トークがなされることになったが、観劇の余韻を壊されたくなかったので聞かずにそのまま劇場を後にした。

 

翻訳/河合祥一郎、構成・演出/野村萬斎、美術/松井るみ、照明/北澤真、衣装/半田悦子
3月16日(木)14時開演、世田谷パブリックシアター、チケット:(A席)5500円
座席:3階A列27番、パンフレット:1500円


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