狂言師・野村萬斎が挑む男優だけの『ハムレット』 No. 2003-013
 

 チラシで見る野村萬斎のハムレットの姿は、ナルシストを感じさせるものだった。その負の側面の印象を強く意識したまま見た野村萬斎のハムレットは、結局最後までナルシストのイメージが消えなかった。

 今回の『ハムレット』は、いろいろな意味で関心度の高い上演である。1990年から2002年までアルメイダ劇場の共同芸術監督を勤めて、2000年にはレイン・ファインズ主演の『リチャードニ世』と『コリオレイナス』を東京の赤坂ACTシアターで上演した演出家ジョナサン・ケントが、日本人の男優だけを使って演出。

 ハムレットは、2002年8月から世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任した狂言師の野村萬斎。オフイーリアには歌舞伎の女形役、中村芝のぶ。ガートルードは元「花組芝居」の篠井英介。翻訳は野村萬斎がこの公演のために要望して、河合祥一郎が新訳。

 その翻訳で意外な新事実。‘To be or not to be, that is the question’をどう訳すかが難問だったという河合祥一郎は、結局「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳したが、驚くことにこの訳が実際に『ハムレット』の訳に採用されたことはないという。本邦初訳になる。

 しかしながら、今回の『ハムレット』で一番の特徴は、その舞台美術にあるといえよう。ジョナサン・ケント演出の『リチャードニ世』と『コリオレイナス』でも美術担当したポール・ブラウンが今回も担当している。そのコンセプトの核を、『ハムレット』が「pretendの世界」(うわべを飾った世界)と考え、劇世界を一つの巨大な箱の中に入れ込んでいる。箱の表面はトロンプルイユという技法(実物と見間違うほど精細に描写する技法)で絵柄が描かれ、箱の中はマーカートリーという「はめ込み細工」の手法を取り入れて、カラクリ箱のように、場面ごとの中身が入れ替わる。

 開演前舞台は真っ暗だが、その巨大な箱が日本の伝統的な漆塗りの箱のような感じの色調で、ゆっくりと時計回りに回っている。舞台下手には、その箱の動きを座って見守る4名の黒子役の顔だけが浮かび上がって見える。遠く潮騒のような音がする中で、舞台は暗転して、その巨大な箱は城郭となる。城郭の上ではバーナードとフランシスコが夜警交代をする誰何の場面が展開される。そしてマーセラスとホレイショーが登場し、亡霊が現われるが、亡霊はその城郭の下を徘徊するので、城郭の上とは相当の距離がある(3階建てのビルの屋上と1階の高さの位置関係を想像するとよく分かる)。

 亡霊の場面から宮廷の場面に展開されると、その箱が開かれ、中は9等分の部屋割りがされている。つまり1階が3部屋で3階まである。箱の中の色調は赤で統一され、巨大な雛飾りのような印象があり、それが宮廷の秩序感覚を与える効果となっている。2階中央の仕切り部屋にクローデイアスとガートルーズがいて、その右隣にポローニアスとオフイーリア。1階の右端の仕切り部屋にはレアテイーズがいる。ハムレットは宮廷を表わすその箱の中の仕切り部屋にはいない。箱の壁面にもたれかかって立っており、「宮廷」の秩序の部外者となっている。仕切り部屋にいるその他の貴族たちの衣装は、首にピエロ・カラーのような大きな襟カラーをつけている。

 場面が展開するたびに、この箱の中身や外面が変化する。まさにカラクリ箱かマジック・ボックスという感じである。はめ込み細工の手品のような変化に驚かされる。

 舞台装置のコンセプトとは裏腹に、ハムレットのコンセプトが見えてこない。ジョナサン・ケントが今回ハムレットに求めるコンセプトは動く人ではなく、「考える人」で、言葉を正確に観客に届けることにあるという。野村萬斎の台詞は昂揚すればするほど狂言回しに近くなり、言葉が様式化してリアリテイが失われていく。それがますますハムレットをナルシストに感じさせたのが、僕には不満であった。

 台詞で存在感を見せつけるのは、クローデイアスを演じる吉田鋼太郎である。2年前にハムレットを演じて紀伊国屋演劇賞個人賞を得た彼は、クローデイアスを演じるのはこれが4度目であるという。今の彼はハムレットを演じるより、クローデイアスを演じるほうが存在感を圧倒的に感じさせる。ちょうどデレク・ジャコビがケネス・ブラナーの『ハムレット』でクローデイアスを演じて存在感を見せつけたように。

 個性的な俳優が揃っていて、しかも歌舞伎、狂言という異分野からの共演となっているが、それがプラスに働いているとは思えなかった。

 ジョナサン・ケントは、この芝居の大きな分岐店になる言葉として、5幕の‘Let be’(なるようになれ)であるとし、この台詞によって、ハムレットはあらゆる苦悩とためらいを経た後、穏やかな精神状態に到達し、自分の運命を受け入れ、それが‘Let be’に集約されることで感動すると語っている。だが、そのとき萬斎のハムレットの「なるようになれ」という台詞は、余りに声高で昂揚した言い方であるため、ナルシズムにしか感じられなかった。

 エンデイングで、死んだハムレットがフォーテインブラスの兵士たちに担がれて、亡霊に手渡される。ハムレットは父の手に抱かれて静かに眠るという設定だが、必然的なインパクトに乏しい演出だと思えた。そこまでに至る必然性のプロセスが感じられない。

 期待に反比例した不満を強調しているのでこの上演のマイナス面が目立つが、話題性には欠かないという点では、観て損はなかったと思う。                       
(7月20日、世田谷パブリックシアターにて観劇)

 この後、今年から来年初めにかけて『ハムレット』劇が次々に上演される。手元にある情報では、

1. 10月3日(金)〜13日(月)、俳優座劇場で、シェイクスピア・シアターにより、「間違いの喜劇」、「じゃじゃ馬ならし」、「夏の夜の夢」、そして「ハムレット」と4本連続上演される。
2. 11月17日(月)〜24日(月)、銀座みゆき館劇場で、アkデミック・シェイクスピア・カンパニーにより、2バージョンの「ハムレット」
3. 11月15日(土)〜12月14日(日)、文化村シアターコクーンにて、蜷川幸雄演出、藤原竜也のハムレット
4. 2004年2月20日(金)〜29日(日)、東京芸術劇場にて、栗田芳宏演出、安寿ミラのハムレットの再演
5. 2004年7月(予定)、子供のためのシェイクスピアカンパニーによる『ハムレット』


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