〜欧州文化首都ロッテルダム2001/ジャパン2001 英国年フェスティバル凱旋公演〜
舞台装置は非常にシンプルである。
舞台上に6m四方ほどの能舞台を思わせる台座がしつらえられている。
前方の台座の両端に小さな行燈、後方の台座の両端には大きな行燈と、その両翼に漆黒の大きな角柱。
舞台装置はそれだけの、きわめて和風的な舞台美術のように見えて、どこか異国風な感じがする。
能舞台風台座の場外両翼には、舞台進行中の音楽を奏でる楽器が照明に沈んでいる。
開演と同時に登場人物たちが、剣道の試合着のような黒い衣装でパントマイムの踊り。東洋的なイメージのなかにも異国的な雰囲気を漂わせる。
ランスロットを思わせる人物が一人残り、道化を演じて操り人形の所作で退場、舞台はここから始まる。
この公演がもともと、イギリス、オランダ、ルーマニアでの日本語による海外公演を前提としているだけに、言葉を超えての理解を求めた演出方法が取られているように見受けられた。
台詞を超えて、演技・所作の振りの大きさによる面白さが伝わってくる。
衣装のコントラストが面白いだけでなく、日本語が分からなくても話の展開の推測がつくような工夫が感じられる。
アントーニオの憂鬱の場面では、そこに集まった全員が黒い衣装だが、ポーシャへの求婚の場でのバッサーニオが、まぶしいばかりの真っ白な衣装へと変わるのはその一例だろう。
出演は、俳優座のベテラン、中野誠也(シャイロック)、立花一男(老ゴボー/公爵)、執行佐智子(ネリッサ)と、小川力也(アントーニオ)、小川敦子(ポーシャ)、田中茂弘(バッサーニオ)ら中堅の若手俳優が参加している。
中野誠也が羽織袴で和装姿のシャイロックを、立花一男が渦を巻いたレンズの眼鏡をかけたかすみ目の老ゴボーを演じて、その二人の好演技が印象に残った。
ヴェニスの法廷の場からベルモントに戻って指輪騒動も収まった大円団のあと、アントーニオが独り舞台に残る。
そこへ幽鬼と化したシャイロックが短剣を振りかざしてアントーニオ二襲いかかり、一瞬、アントーニオは心臓を刺し貫かれたかと思われる。が、それはすべて妄想の世界。
シャイロックは裁判に敗れて財産を失うばかりでなく、キリスト教徒への改宗も押しつけられる。
財産を失うことは命を失うことも同じだとシャイロックは言うが、本当の責め苦は、人の心を変える改宗という強制ではないのか。<慈雨の雨>とは言うが、妥協のないエゴはむしろキリスト教徒にあるのではないか。
アントーニオははじめから最初からシャイロックを憎んでいる。バッサーニオのために3千ダカットの借金の証文に、自分の肉1ポンドを与えることを約束したのはアントーニオ自身だったではないか。それは遊びで許されることなのか。
中野誠也のシャイロックを観ていると、憎しみより哀れさから、ついこんなことを考えてしまった。
また、肉を切り取ってもよいが血は一滴も流してはならない、切り取る肉の分量は千分の1ポンドたりとも多くても少なくてもならない、というのは法のペテンに思われるが、法律とはそんなものである。
10月6日から27日にかけて、ロンドン郊外のニューベリーのウォーターミル劇場を皮切りに、ロッテルダム、ブカレスト、そしてストラットフォード・アポン・エイボンのジ・アザーズ劇場での公演を終えて、俳優座劇場での凱旋公演として11月15日から18日まで4ステージの上演。
翻訳/松岡和子、演出/イオン・カラミトル、舞台美術・衣装/松岡泉
11月17日(土)14時開演、俳優座劇場、チケット:4200円、座席:3列11番
追 記
中野誠也は、この『ヴェニスの商人』のシャイロック役で2001年の「読売演劇大賞優秀男優賞」を受賞した。
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