高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   木山事務所公演 『仮名手本ハムレット』             No. 2001_007

 再発見の喜びが再演を繰り返し観る楽しみ。
 この作品は初演を除き、これまでに二度観ている。三度目にして初めて気づいた発見もある。
 過去2回の公演のプログラムを読み返してみると、今回新たに気付いた発見もそこには触れられているのだが、やはり自分の肌で感じた発見の方が新鮮だった。ちなみに、今回は好評につきプログラムは完売ということで買うことができなかった。
 2回観ていながら、最初の出足からして覚えていなかった。それだけに新鮮に見ることができた。
 芝居は『ハムレット』1幕5場の、亡霊とハムレットとの遭遇の場から始まる。
 ドロドロ太鼓に、黒子が掲げる火の玉に導かれて、ザンバラ髪で白装束の亡霊と、歌舞伎の日本刀を手にした、フロックコートのいでたちのハムレットが登場。
 これまで二度の観劇で記憶に残っているのは、ハムレットを演じる市川新蔵が、「存(ながら)ふるか、存へぬか」の台詞で詰まって呻吟する場面で、その役を演じた藤木孝の熱演が印象として残っている。今回もその熱演が印象深かった。顔中汗まみれの熱演である。
 役者市川新蔵がこの台詞に呻吟するのは、ハムレットの心情が理解できないからである。
 それを新富座座主守田勘彌の助言で、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良助の主君仇討を前にしての遊興の場面と重ね合わせることでハムレットの佯狂と、復讐の気持の逡巡を理解することができる。
 その、ハムレットの気持をつかむ前の演技と、つかんだ後の演技の仕分けが実にうまい。'To be, or not to be'の台詞は簡単なフレーズであるだけに、原語でもってしても難しいところ。どういう気持がその台詞を言わせているのか、守田勘彌の助言の台詞が、原語の持つ意味を考えさせるにも大きなヒントとなる。
 原作の『ハムレット』は『仮名手本忠臣蔵』にパラフレイズできる構造をしている。
 『仮名手本ハムレット』の劇の中でも役者たちが、シェイクスピアが『仮名手本忠臣蔵』を剽窃して『ハムレット』を書いたのだと思い込むほど、こじつければこじつけるほど似てくるから面白い。
 西洋の演劇など見たこともない人たちに、いきなり『ハムレット』を理解して演じろという方がむしろ無理であろう。これまでに見たこともない芝居を理解する近道は、それをパラフレイズ出来るものに置き換えることであろう。
 新富座の座主、守田勘彌の一世一代の夢、『ハムレット』の上演は、大阪の興行師・堀谷文次郎が現れ、たった今、新富座は自分のものになったと告げたところで潰えてしまう。その夢が消えた絶望感で、守田勘彌はくずおれる。そして彼の最後の言葉がハムレットの死に際の台詞と重なって、「あとはもう言わない」・・・・。
 堀谷文次郎は、守田勘彌の追悼公演を大々的に披露することを宣する。
 堀谷文次郎がフォーティンブラスに重なることを、このたびの上演で初めて実感として気づいた。このことは公演のプログラムを読めば分かるのだが、そんなことは頭に入っていなかった。三度目の観劇でやっと気づいた次第である。このように発見できることが、再演を観る楽しみの一つでもある。

 

作/堤 春恵、演出/末木利文
3月4日(日)14時開演、俳優座劇場、チケット:5000円、座席:7列15番

●『仮名手本ハムレット』公演記録
92年6月、俳優座劇場にて初演
94年7月、木山事務所創立15周年として、パナソニック・グローブ座で再演
97年1〜2月、東京芸術劇場・中ホールにて公演後、ニューヨーク公演
01年3月、4度目の公演。この東京公演の後、3月23日〜28日、ロンドン公演。

 

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