高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
    奥原佳津夫企画事務所制作 『じゃじゃ馬馴らし』          No. 2000_06

チラシにある「正統派シェイクスピア劇シリーズ」という言葉に惹かれた。
そのチラシによれば、奥原佳津夫企画事務所公演は、92年の『十二夜〜旅の終わりに〜』に始まり、93年『ヴェニスの商人〜星はかがやく〜』、94年『マクベス〜血まみれの男〜』、『冬の物語〜時はめぐりて〜』と続き、この度は5年ぶりの再始動ということらしい。
当日もらったキャスト紹介のリーフレットでは91年にも銀座小劇場で『冬物語』を上演しているのが紹介されているので、その活動歴はもう10年ほどにもなるのであろう。
堂々と<正統派>と名乗るところが面白い。
だが、シェイクスピアの正統性とは何であろうか。
どういう基準で以て正統というのであろうか。
それだけでも興味があり、一見の価値ありという冒険心も手伝って観ることにした。
舞台美術は最小限に抑えられ、大道具もなく、背景もせいぜい青空の風景ぐらいで、舞台上には折り畳み式椅子が使われるぐらいで、家の中と外を明示するために、窓枠と脚立が使われるぐらいで他に何もない。
<何もない空間」での演技である。
劇の展開はシェイクスピアの原作に忠実かといえば、台詞の省略は別にしても必ずしもそうとは言えない。
『じゃじゃ馬馴らし』は鋳掛屋スライの夢物語としての序劇から展開されるが、この劇ではそこは省略されて、パデュアの広場のルーセンシオーとトラーニオの会話から始まるが、鋳掛屋スライの場面は省略されることも多いので、この省略で以て正統派ではないという必要もないだろう。
全体を通しての印象は、今一つパンチに欠ける気がした。
それは恐らく奥原佳津夫が演じるペトルーキオの印象に起因していたと思う。
ペトルーキオに対する自分のイメージに対して、奥原佳津夫のペトルーキオは、荒々しさ、泥臭さ、激しさ、体臭に乏しく、端正で、紳士然としていた。
キャタリーナを演じる野間寛子(劇団新人会)も台詞が冷めている感じで、ペトルーキオに対する反抗も冷静で、燃えるような激しさがなく、火花が散らない。
悪く言えば、両者が自分の台詞に酔っていて、お互いの台詞がかみ合っていない。あなたはあなた、私は私、そんな印象であった。
最も自分のこの印象は、独断的で、自分の求め過ぎからくるのかも知れない。
しかしながら、後になって、その時気がつかなかったことが、じんわりと残っているものがある。
不満も残ったが、何かを残してくれたそのことに満足してもいいようだ。
初めての劇団の上演を観るときは、期待と構えるものがあってつい不満を感じることも多くなるようだ。

(訳・演出/奥原佳津夫、3月3日(金)18時半開演、野方区民ホールWIZにて観劇。
チケット:3800円、全席自由席)

 

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