映画の終わりがまた象徴的である。
小リューシアスがアーロンとタモーラの不義の赤子を抱いてコロッセウムから出て、曙光に向かって歩を進めていく。
ゆっくりと、ゆっくりと、歩みを進めていくうちに、小リューシアスはいつしか大人の背丈になっていく。
しかし、赤ん坊はそのまま腕に抱かれた赤ん坊のままである。
朝の光は、希望を告げるかのように未来へと開いているようである。
小リューシアスは振り返ることをしない。ただ進んでいくだけである。
この姿に救いがあるようであれば、未来はあると言えるであろう。
この映画で受ける衝撃は強烈だが、その残酷さ、残虐性の生々しさに、もう一度観てみたいという気持はひるんでしまう。それだけの強烈さをもった映画であった。
(12月20日記) |