高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   第三エロチカ公演 『ハムレットクローン』          No. 2000_02

何の予備知識もなく、何の約束事も知らず、ドラマに遭遇することは、なんともスリリングなことである。
知っていることといえば、ハムレットという名前、或いはシェイクスピアの作品であるということと、クローンという言葉である。そこで思い浮かんだのは、ハムレットの培養で、幾人ものハムレットの創出の予想である。
ところが、孫悟空のきんと雲のようなものがのっかかった吾妻橋のアサヒスーパードライホールビル4Fにある<スクエアA>での舞台が奇抜であった。
舞台は平土間で、観客席は階段状に昇っていく構造で、舞台を見下ろす形になっている。
開演の20分前になってやっと開場されたが、入場させられたのは観客席とは逆の舞台の方である。
舞台中央には、ご自由にお飲みくださいと各種のドリンクがテーブルの上に並べられている。
観客席側は有刺鉄線を張った5枚の高い柵が並べられ、その一つ一つの柵の前には、俳優たちが門衛よろしくじっと立っている。観客はその柵を前にして、檻に入れられた囚人とでもいうよう、所在なげにざわざわと立ちつくしているが、開演時間が過ぎても一向に観客席への案内がない。
我々が舞台に立っているのである。観客もまた舞台の人物となるのかと疑いたくなってくる。
そうすると、なにやら警笛のベルの音と共に、自転車に乗った男が国家「君が代」を大きな声で歌いながら、観客の周りを何度も回り始めた。
男は、有刺鉄線の番兵2人に射殺される。
そして、舞台の正面すなわち観客席に、白いコートを着た3人の<ハムレット>が立ちあがり、それぞれ「私はハムレットだった」と名乗る。その3人のハムレットもまた有刺鉄線のこちら側にいる兵隊から次々に殺されるが、彼らは再び立ち上がり、三島由紀夫やそのほかいろいろな人物となる。
観客席はそのうち無数の人間(実際には7、8人であるが、イメージとしては無数に感じる)が立ちあがり、電気ショックにしびれたような激しい所作を演じる。
このようにして、開演から20分ほどしてやっと観客は舞台側から観客席の椅子につくことが出来た。
物語は『ハムレット』にあらずして『ハムレット』にあらず、だが、曖昧なる存在としてなら、誰だってみなハムレット。
『ハムレット』の筋書きを換骨奪胎しているといえばそうとも言える。
これは東ドイツの劇作家ハイナー・ミューラーの『ハムレット・マシーン』の日本版、川村毅版である。
シェイクスピアの『ハムレット』を解体して、幻想革命と現代日本の風俗風刺をないまぜにし、ハムレットの世界を合体させた実験的演劇体験ともいうべき作品である。
個々のストーリーは絶え間なく拡散していく。従って通常の物語的展開を期待するとその断絶に戸惑うことになる。
しかしながら、<革命>では"楯の会"の三島由紀夫を想起させられるし、現代風俗としてはルーズソックスの女子高生、援助交際を描くことで現代風景の風刺を見ることが出来る。オフィーリアですらその中の一人となっている。
シェイクスピアの『ハムレット』の登場人物が、このオフィーリアのように解体改造されてこの物語の展開の媒体として活躍する。
物語性としては絶えず拡散しているだけに、そのままでは締まりがなくなる所であるが、終わりは始まり同様に、男が台詞を語りながら自転車に乗って舞台を回り、この物語の連環性を暗示する。
衝撃的な2時間であった。

(作・演出・美術/川村毅、1月16日(日)15時開演、アサヒスーパードライホールビル4F
スクエアAにて観劇。チケット:4000円、全席自由席)

 

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