高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   『キーン、或いは狂気と天才』            No. 1999-018
空白

 サルトルによるデュマの『キーン、狂気と天才』の改作版の戯曲である。
 サルトルの『狂気と天才』は人文書院のサルトル全集の1冊として、鈴木力衛翻訳で刊行され、日本での初演は、劇団民藝により、村山知義演出、滝沢修主演で、昭和38年(1963年)9月に上演された。
 『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』の作者であるデュマの『キーン、狂気と天才』が上演されたのは1836年、キーンの死後わずか3年後の事である。
 19世紀の天才俳優エドモンド・キーンについては、その母親は旅回りの役者、父親は誰だかも知れない私生児として生まれたが、本人は公爵の落胤を自称していたとも言われる。
 キーンは少年時代の大半を母親と旅回りの芸人として過ごしたが、1814年のドルリー・レーン劇場での『ヴェニスの商人』のシャイロック役で一躍有名となった。
 それまでのシャイロックの赤ひげの顎鬚に変えて黒い顎鬚を付け、精力的な悪の怪物としてのユダヤ人を演じて伝統的なものに挑戦し、詩人のコールリッジは「彼の演技を見るのは、稲妻の光でシェイクスピアを読むようなものだ」と評した。
 しかしながら彼の凋落はすぐにやってきた。
 1824年、ドルリー・レーンの委員会の一人の妻であるシャーロット・コックスとの関係がばれ翌年告訴され、『リチャード三世』の舞台ではブーイングにさらされ、二度目の米国訪問をすることになる。
1833年3月、最後となる舞台でオセロを演じ、その時イアゴーを演じた息子のチャールズの胸に倒れ、数週間後に44歳の波乱に富んだ生涯を閉じた。
 栗山民也の開演の場は、蜷川幸雄を彷彿させる舞台一面のページェントで開ける。
 キーンが少年時代を共に過ごした大道芸人たちの一座が、宮廷らしき邸の前の大広場で大道芸を披露している場から始まり、舞台は一転してデンマーク大使館の広間へと移る。
 デンマーク大使夫人のケーフェルト伯爵夫人エレナ(峰さお理)とコスビル夫人(立石涼子)とのゴシップ会話で、エレナとキーンの噂が話題とされる。
 夫のケーフェルト伯爵(高木均)が、その夜の舞踏会の催しの余興に、プリンス・オブ・ウェールズ(千葉哲也)を喜ばすべくキーンを招待していると告げるが、キーンは出席できない旨の断りの手紙を寄こしたかと思うと突然出席するという傍若無人ぶりを示す。それもこれも大使夫人エレナへの恋ゆえである。
 この劇を一言で総括するならば、<美>=エレナと、<権力>=プリンス・オブ・ウェールズと、<天才>=キーンの3人の三角関係を軸として、シェイクスピアと恋をした物語とでも言えようか。
その主軸はプリンス・オブ・ウェールズとキーンとの関係である。
 この二人の関係は『ヘンリー四世』のハル王子とフォルスタッフの間柄に似通っているともいえる。
 貴族でもないキーンがイングランドの皇太子と対等に渡り合えるのは、キーンが国民的英雄とでもいうべき演劇界におけるキングであるからである。
 プリンスは、恋の相手やキーンが着る衣装などにおいて、ことごとく彼と張り合う。
 そして今張り合っているのは、他でもないデンマーク大使夫人エレナである。
 そこへ飛び込んでくるのがキーンのファンで女優志願のアンナ・ダービー(渡辺梓)。
 彼女はチーズ商人の大富豪の娘で、没落貴族のロード・ネビルという金目当ての婚約者がいるが、エレナへに対して嫉妬の炎を燃やす。
 昔仲間の大道芸人一座の親方が骨折事故で一座が困窮しているのを知ったキーンが、自分が破産状態にあるのを棚に上げて一座の為に一肌脱ごうと、『オセロ』の最後の場面であるオセロがデズデモーナを殺す場をチャリティーショーとして演じることにする。
 ところが、相方のデズデモーナ役が地方巡演に出ていないため、この公演を毎回見ていて台詞をそらんじているというアンナにこの役をやらせることになった。
 エレナはアンナにデズデモーナをやらせるなら、その公演で自分はプリンスとロイヤルボックスで同席するという難題をキーンにふっかけるが、デズデモーナを演じるものが他に見当たらずアンナにやらせる以外になく、結果は惨憺たるものとなった。
 プリンスとエレナに嫉妬したキーンは二人に暴言を吐き不敬罪に問われる。
 この事件でキーンとエレナの恋の熱も冷め、プリンスの計らいで不敬罪による逮捕、監獄入りは免れたものの、1年間のイギリス追放となる。
 それが結果的にはアンナの思い通りとなって、キーンとアンナは結ばれハッピーエンドとなる。
 途中、江守徹の過剰演技に退屈を感じることもあったが、やはりさすがは江守徹で、この4時間弱にも及ぶ長丁場を堪能させてくれた。
 キーンの付き人役ソロモンの山本龍二も脇をよく固めていて、江守のガス抜きをしており、ほっとさせてくれるのがよかった。

(作/J.P.サルトル、翻訳/鈴木力衛、上演台本/栗山民也・江守徹、演出/栗山民也、
99年10月17日(日)13時開演、新国立劇場・中劇場、
チケット:(S席)6300円、座席:1階12列35番)

 

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