高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   イアン・マッケラン脚本・主演・映画 『リチャード三世』      No. 1997-007
空白

 衝撃的としか言いようがないほど圧倒的であった。
 緊急を告げる電信の打電。
 突然のタンク(戦車)の進撃、ガスマスクをつけた戦闘員の侵入と殺戮で一瞬の間に内乱は終結する。
 タイトルが出るまでのわずか数分間の場面にまず度肝を抜かれる。
 場面は一転して、華やかなパーティへと移る。
 ここまで観てきたときに、原作のリチャードの冒頭の台詞は省略されたものと思った。
 ところが、にくいことに、その華やかなパーティの公の場に、マイクを使っての演説で、「われらをおおっていた不満の冬もようやく去り、ヨーク家の太陽エドワードによって栄光の夏がきた」と始められる。
 パーティの場にふさわしくないリチャードの陰謀の企みの独白は、トイレの場で小便をしながら口ずさまれる。
 忠実に上演すればゆうに4時間はかかる原作を1時間40分に凝縮しているが、原作に忠実にそって展開されているように感じさせるのが映像の持つ不思議な力で、不自然さを感じない。
 原作にはないところですごいと思わせたのは、アン王妃が車の中で麻薬を自分の手で足に注射するところなど、リチャードと結婚してこのかた、心休まる日は一日としてなかったと後に語るが、それなどを実にリアルに表出しているといえる。
 プロットが原作に忠実なだけに、現代的な戦闘場面において、「馬をくれ!かわりにわが王国をくれてやる!」をどのようにやるのか、興味津々であったが、これもにくいことに、そのものズバリ、「馬をくれ!」と不自然にならない形でリチャードに叫ばしている。
 1930年代という雰囲気を伝えるためか、スィング・ジャズのメロディが要所要所で甘く流れる。
 エンディングのリチャードの台詞、「世界の頂点に立っている気分だ('I'm sitting on top of the world…Humpty-Dumpty')。すべてが順調だ。そう、すべてが」は、リッチモンド伯に撃たれて墜落していくリチャードを、まったく風刺化して劇画化していたのが印象的であった。 (2月26日記)

 

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