−人間を小宇宙と見るルネサンス的思想−
その1 シェイクスピアに見るこの世の秩序の崩壊
「世のなかの関節がはずれている」という最も有名なものの一つは、亡霊と出会った後のハムレットの台詞であろう。
The time is out of joint: O cursed spite,
That ever I was born to set it right,(Hamlet 1.5.189-190)
今の世のなかは関節がはずれている、うかぬ話だ、
それを正すべくおれはこの世に生を受けたのだ!
ここでの’time’の意味は、OnionsのGlossaryによれば、’the present state of affairs; the present moment; present circumstances’である。
「この世のなか」とは、ハムレットにとってはデンマークのことであり、デンマークの現在置かれている状況であって、1幕2場でクローディアスが言った次の台詞に関連する。
Or thinking by our late dear brother’s death
Our state to be disjoint and out of frame,(Hamlet 1.2.19-20)
兄の死によってわが国の支柱が崩れ、
四分五裂の状態にあると推し測ってか、
「骨組みが崩れる」という表現は、シェイクスピアでは他にマクベスやリア王の台詞にも見ることができる。
But let the frame of things disjoint, both the worlds suffer,(Macbeth 3.2.16)
いっそこの世界が崩れ、天も地も滅び去るがいい、
Wrenched my frame of nature from the fixed place(King Lear 1.4.223-)
わしの五体をかたわになるまでねじ曲げ、
‘frame of things’とは’universal order’のことであり、宇宙の秩序、万物の秩序のことである。リアの台詞では、身体の骨組みという即物的な意味で使われている。
(注)シェイクスピアの作品は、特に示さない限り小田島雄志の訳を使用。
その2 ダンに見るこの世の秩序の崩壊
世のなかの関節がはずれているという人体に絡んだ表現は、人間をミクロコスモスの世界になぞらえたルネサンスの思想に通じている。
ジョン・ダンにおいても人間を小宇宙とみなす詩が随所に見受けられるが、シェイクスピアと同じような意味の表現が『一周忌の歌―この世の解剖』のなかにある。
Then, as mankind, so is the world’s whole frame
Quite out of joint, almost created lame:(An Anatomy of the World, 191-192)
そのうえ、人間と同様に、この世全体の骨格の
関節がはずれ、片輪に生まれつくことになる。(『一周忌の歌』)
ダンのこの詩では明らかに、世界が人間の比喩として語られているのが分かる。
ダンの詩には、他にも骨組みが崩れるという表現がある。
All virtue ebbed out to a dead low tide,
All the world’s frame being crumbled into sand,
(To the Countess of Salisbury, 10-11)
あらゆる美徳は潮が引くように消え去り、
この世の骨組みはすべて砕けて砂と化し、 (『ソールズベリー伯爵夫人へ』)
シェイクスピアとダンの詩を通していて感じるのは、この世の秩序が失われるのは、大切なものが失われた状態であることだ。
『ハムレット』では、クローディアスとハムレットが失ったものは、先のデンマーク王であるハムレットを意味している。
それに対してマクベスやリアの場合は、より個人的なものであるという違いがある。
ダンの詩で世界の骨組みが壊れるのは、貴人の死に対する賛辞の意味を含むもので、『ハムレット』に近いものがある。
いずれにおいても人間を小宇宙と見るルネサンス的思想の反映であるとともに、そこにはプトレマイオスの天球の秩序を感じさせるものを含んでいる。
シェイクスピアやダンは、地動説を唱えたケプラーやガリレオと同時代人であり、これまでの世界観が百八十度ひっくり返った時代である。もっともこの時代は宗教(キリスト教)の世界観が強く支配していて、太陽中心説は教会に受け入れられない考えであり、そのような考えは迫害された時代でもあったので、一般への浸透は低かったと思われる。
シェイクスピアは演劇という公共に提供するものであるだけに、検閲を避けるために作品の中にこのような思想を直接表現することがなかった。ダンにはこの新しい天文学の知識がその作品の中にも見受けられるが、彼自身それを信じていたかどうかは別である。
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